1854年12月、帝政ロシアは下田条約の精神として樺太は日本に属すと確認せりと。帝政ロシアの黙認による確認を、池田首相はソ連に確認石碑しむべき権利と義務を持つ。
樋口季一郎
下田条約において「樺太の項」がないのはロシアの対日敬意の表現であって、その一項なきはモスクワがロシア領に属するとの一項なきと同意義を持つ
(ソ連について)日本に対し不法暴力を加え来ったことは不法であり、不道徳であり、侵略主義の発露であり、不正義である