ナイチンゲールの名言集
天使とは美しい花をまき散らす者ではなく、苦悩する者のために戦う者のことだ
ナイチンゲール
最後にいえるのは、自分に関わっている時間をどう使い、やりたいことを遂げるかは、すべてわたしにかかっている
わたしであっても一つは得意だと思う能力は持っているものだ。この世界には100万以上の仕事があるといわれているが、そのどれもが自分が合わないなどということはあり得ないのである
すべての物事は、それにつぎ込んだ努力にほぼ等しい成果があるものだ
命を奪われた男たちの前に立って思う。生きている限り、彼らを死に追いやった相手と戦い続けると
物事を始めるチャンスを、私は逃さない。たとえマスタードの種のように小さな始まりでも、芽を出し、根を張ることがいくらでもある
人間は一生に一度きりではなく、一日ごとに気持ちを改めていかなければならない
人間は休息を求めて疲れる
人に対する批判的な心をやわらげる最良の方法は、自分が批判している相手の役に立とうと努めることです。私自身の経験からそう申し上げることができます
痛みと喜 びは、光と影のように交互にやってくる
我々は、過去を知らないばかりに、自分の生きる時代を中傷する。人間はかれこれずっとこんな調子できたのである
将来のことを考えていると憂鬱になったので、そんなことはやめてマーマレードを作ることにした。オレンジを刻んだり、床を磨いたりするうちに、気分が明るくなっていくのには全くびっくりする
人を愛するには、相手の魂に向かって旅をしなければならない
自由に気付いていない時こそ、人間は一番自由である
人生を生きるには、修練が必要である。「まずまずの目的、過ち多き行為、ぐらぐらしている意志」のうちに人生をうやむやに過ごしてはならない
人生を二度、生きることが出来たらどんなにいいか。一度は過ちを犯すため、二度目は犯した過ちから学ぶために
貧者が富者を嫉み、富者が貧者を怖れることは、永久に絶えないだろう
情熱は川や海に似ている。浅いものはつぶやき、深いものは黙している
無能なる者は、時や場所の壁を越えて存在する
歴史の目的は、過去の実例によってわれわれの欲望とか行動を導くような知識を教えることにある
優秀な人間がまずい計画の欠陥を修正することはできても、その逆はまず不可能である
私の人生観は単純だ。すなわち目をそむけることなく人生と折り合っていくということだ
価値ある事業は、ささやかな、人知れぬ出発、地道な労苦、向上を目指す無言の、地道な苦闘といった風土のうちで、真に発展し、開花する
人間の値打ちはどの宗教を信じるかではなくて、ただその人の行いによって決まるのだ
人はその人が考えた通りの人生を生きる
人の気持ちはそれが言葉になるとただ空しく失われてしまう。ど んな気持ちでも行動に、しかも結果を生む行動に移さなければならない
馬鹿からの賛同は批判よりも迷惑である
病院の要は婦長である
酒には飲みたくて飲む酒と、飲む必要があって飲む酒がある
愛というのは、その人の過ちや自分との意見の対立を許してあげられること
好かれたから好きになるのではない 好きだから、好かれたいのだ
生きる意味など知らないままでいい、いつか笑える日が来るのならば
死んだ女よりもっとかわいそうなのは忘れられた女です
才能は長い努力の賜物である
老いてなお、気骨あるものは賞すべきかな
どんな仕事をするにせよ、実際に学ぶ事ができるのは現場においてのみである
総婦長は病院中で最もすぐれた看護婦である
男は女に嘘をつくことばかり教え、また女に対して嘘ばかりついている
進歩し続けない限りは、 後退していることになるのです
ともかくもその人の行動の動機となる力、それが信仰なのです
構成員の奉仕の精神にも頼るが、経済的援助なしにはそれも無力である
人生とは戦いであり、不正との格闘である
女性よ自立しなさい。自分の足で立ちなさい
経験をもたらすのは観察だけなのである
私はすべての病院がなくなることを願っています
看護はひとつの芸術である
正義なることが魂の健康である
人の思いは、言葉に変わることで無駄にされているように、私には思えるのです
物事を始めるチャンスを、私は逃さない
そこに明確な行動が伴っていなければ、思いを十分に伝えることは難しいと思う
人生は呑気な楽しい休日でも、気の利いたことが記されている書物でもありません
子を失う親のような気持ちで、患者に接することのできない 、そのような共感性のない人がいるとしたら、今すぐこの場から去りなさい
進歩のない組織で持ちこたえたものはない
私たちは、自分が誉められるためにではなく、私たちが選んだこの仕事に名誉をもたらし、それを前進させるために、心を打ち込んで事を成し遂げていこうではありませんか
病院の第一の条件は、患者に害を与えないことである
立派な男性が求婚すれば、女性がそれを受諾しない理由はない、という考えにはまったく賛成できない
今年で30歳になる。キリストが伝道を始めた歳だ。もはや子供っぽいことは終わり。無駄なことも、恋も、結婚も
自分の命より大切なものが多くなると、人間、気苦労が多くなる
私は地獄を見た。私は決してクリミアを忘れない
他によいものがなかったのでそのコトバを看護と言う
看護を行う私たちは、人間とは何か、人はいかに生きるかをいつも問いただし、研鑽を積んでいく必要がある