アーティストの名言集
メンドクサイことがイヤなら寝ているのが一番。でも、ずっと寝ているだけじゃ、幸せも生きてる時間もわかりっこない。メンドクサイことがいっぱいあるから生きてるんだって実感が持てる
所ジョージ
途中で意味を考えない。山に登る意味を考えていいのは登り切った人か、途中であきらめて降りた人だけ
何でもかんでも規則通りにやらせようとするのは機械の仕事。人間なんだから、いろいろな場面で臨機応変に対応しなきゃ
「やればできる」ってじゃあやれよ!「昔は凄かった」って昔なんかどうでもいいんだよ。今どうなんだよ
星は誰にでもみんなに輝いている。ただ見上げる人と見上げない人の差で云々
最近10代の子とか自殺したりするでしょ? そういうのはね、勿体無い。人生はそん時だけじゃないんだよ。ほんとに。50まではね、面白くないよ。人生は。50から相当面白いよ。10代で悩んでる方たくさんいるでしょ? 20代でも悩んでる方。30でもまだ悩んでるよ。50なってみろよ
人間は頭がいいから、明日のこととか、 来年のことを考えちゃうでしょ。そうじゃなくて、もうちょっとばかになって、今日のことしか考えられないと、幸せになりやすいのにね
俺が妻と結婚したのは妻の笑顔を長い時間見たいから。今、妻を笑顔にしてあげられてないなら、笑顔にしてあげれてない俺が全て悪い
良い事も悪い事も自分のせい! 他人のせいにしてるとそういう自分になっちゃうよ! 都合の良い自分にならない。厳しいし辛い時こそ、もっとそっちの方へ
「枠にとらわれたくない、自由でいたい」っていう言葉をカッコイイ意味で使う人がいるけれど、あれ間違っていると思う。みんな社会の中で生きているんだから、なんでもアリッてわけじゃないのよ。規則や枠の中で工夫したり創造したりするから楽しいの
真夜中の空を僕は今ひさしぶりに見ている
峯田和伸
目立たないように目立たないように、さりげなくさりげなく自分の存在を消し続けた(高校)三年間
色々と余計なこと考えすぎて眠れなくなった夜には必ずといっていいくらいに見まくった立川談志さんの落語のビデオ
歌詞の中にこの言葉を入れたら、昔はそれが、「面白いね」とか「馬鹿じゃね」とか、笑われて済むようなところだったのに、今はもう笑えなくなってきたところもあります(コンプラ イアンスが厳しくなって)
お芝居の世界でお仕事をするときは、簡単にベラベラしてはいけないというのは自分の中にあるんですよね
(ビートルズの音楽は)8:2くらいの割合で、暗いところか隠されているところが好き
ビートルズとか音楽は、暗いほう暗いほうに行きがちな自分を包んでくれる
(銀杏BOYZ結成後)メンバー抜けた時期とか、あの時期は辛かった
ちょっと力抜いちゃうと(ライブ会場の雰囲気に)飲まれそうになっちゃうから、ずっと気を張っていなくちゃいけない
(ライブの前の日などは)怖かった
自分じゃない自分を出すのが怖い
ツアー中、ステージからみえたお客さんの顔。知ってる人もいた。知らない人もいた。ひょっとしたら また会えるのかな
じいちゃんばあちゃん天国で見ててけろ。明日も歌うからよ
思い出したいことなんていっぱいありすぎて、いっそのこと全部忘れてしまいたいぐらい幸せなんだよ
高校生の時、僕はズブズブと音楽にのめりこんだ。なにかあるたんびに寂しく一人で音楽を聴くような、僕をそんな人間にしたのは間違いなくパンクがきっかけだと思う
何もしなくても、ほっといても勝手に時間は進む
コーヒーのブラックが飲めない。頭が痛くなるから
僕らがひきこもらない理由は、街に出れば女の子がいるからだ
青春小説、青春映画っていうのがあるんだから、青春音楽っていうのもあっていいんだ
いい歌をつくって、なんでも話せる友達がバンドメンバーで、気持ちをこめて歌って、聴いてくれる人をアッ!と言わせたい。それだけでいい
言葉なんていらなくなるよ、きっと。僕が立派になれれば
退屈を怖がってちゃいけない
映画を観てる時もご飯食べてる時も漫画読んでる時も友達と喋ってる時も、なんにもしていない時なんて特に、いつもいつも音楽のことを考えてる
ロックは世界を変えることができない!世界を変えるのはお前らだ
肉体的に落ちていくものは取り戻せない。残っているものを生かすしかない
僕の部屋は僕を守るけど、僕をひとりぼっちにする
人は僕のことを、ミュージシャンだと思ってる。音楽家だと思ってる。そりゃそうだ。今さらなにを言う。銀杏BOYZとゆうバンドをやってて作詞作曲をしている。お金を払って観に来てくれる人の前に立って歌っている。だけど僕は、それ以上でもそれ以下でもない
出会えた喜びはいつも一瞬なのにどうして別れの悲しみは永遠なの
僕は幸せもんだ。またこうやってツアーができる。銀杏BOYZを大好きなお客さんたちがなんと全国44箇所で待っててくれる。体なんて壊れてもいい
銀杏BOYZ聴いてるつってよ、そのよ、会社の中でそんなのがバレてしまったらよ、「うぇ、アイツ銀杏BOYZ聴いてんの?」なんて差別されるような音楽を俺は作っていきたいワケ
(バンド活動においての演奏技術など)スマートにできない分、ぶつかって行くしかない、気持ちで行くしかない
中学時代はラジオが好きで、「オールナイトニッポン」をよく聞いていました
今日はジョン・レノンの命日。家に帰ってイマジンを聴く
(初めて買ったCDは?) 中学生の時に買った久保田利伸さんのアルバム
(お酒は)一口飲んだら(顔が)真っ赤になる
俺も好きなバンドには一方的な想いをぶつける
何があっても、賛成反対両方あるのは自然
本当の芸術というのは、音楽にしたって映画にしたって文章にしたって演芸にしたってなんにしたって、ドアが開かぬままにあなたに会いに行ける魔法だって
毎日必ずギターには触っていますし、ずっと続けていきたいのは音楽です
音楽が自分のすべてです
人生何が起こるか分からない
歌だってそうなんだ。歌唱力がうまいへたではなくってね、ちゃんとあなたのところに飛んでいくようなメロディを歌いたい
「これはしたくない」「こういうやり方はしない」っていうことさえ自分でわかっていれば、何とかなる気がする
世の中が楽しくなりそうなそんな予感がしますよ。君達はどうですか?
音楽ってゆうのは、なんだろ。何回聴いても毎回ちがうふうに聴こえてくる
生きていくのに疲れていたり、死にたいなんて思ってたり、自分の体に傷をつけたり、人間関係で悩んでいたり、そんな人にはぜひ入院をすすめる
僕と貴方達との距離は はたして何キロぐらいだ
2人で青函トンネル通ったり、駅で立ち食いそば食べたり、思い出いっぱいだよね
西田敏行
時系列では僕が訪れた場所を玉山くんがたどるわけなんですが、撮影場所は同じなので、僕がオフのときは玉山くんたちが撮影して、玉山くんたちがオフのときは僕らが撮影していました。でも、夜は一緒だったもんね。一緒にご飯食べたよね!
一生懸命に生きているのに、報われない。でも、本当に報われなかったかといったらそうじゃない。愛は必ず返ってくるということを、役を通して静かに伝えたいと思いました
(「マエストロ」は誰ですか?)フランシス・フォード・コッポラ監督ですね。ただし演技の上では、師と仰いでいるジャック・レモンです。コメディーからシリアスまで全作品を「ジャック・レモンになりたい」と思いながら、いつも観ています。特に『アパートの鍵貸します』を観ると、「俺もああいう企画の映画ができたらいいな」と思いますね
劇映画としても、コンサートとしても楽しめる。2倍楽しめるんだね
佐渡さんのご指導と同時に、あまねや香坂たちプレーヤー一人一人の表情がモチベーションになりました。わたしの指揮棒の動きをじっと待っているときの表情に胸がキュンとしますよ。これは僕だけしか味わえないことですから
(佐渡さんの熱血指導はいかがでしたか)すごかったです。具体的な言葉じゃなく、身ぶりで示してくださる。長嶋茂雄さんの野球指導と同じかもしれませんね。「(ボールが)スーッと来たらポーンと打つんだよ」という感じでした
役者としては表情に頼っちゃうところがあるけれど、プレーヤーに伝える手の動き、表情や視線、全て体と目力みたいなもので表現しようとする指揮者のすごさ。それは指揮者というマエストロにならないとできないんだということが、ご指導いただいた佐渡裕さんの指揮ぶりから垣間見えた 気がしました
ソングライターとして活躍しているだけに、アンテナの張り方が俳優さんとちょっと違うんです。独特のアンテナで目の前の出来事をちゃんと捉えている。あまねという役に、miwaさんの感性がそのまま投影されているようでした
桃李くんは(エンディングテーマを担当した)辻井伸行さんと同い年なんです。この世代には才たけている人が多いなと思いました。役者を地層に例えると、桃李くんの世代から新しい層に変わっていく気がします
こんな時代ですから、何にも考えずに三谷さんの世界に浸って心を動かしていただいて、気持ちを豊かにしていただけたらうれしいです
どうにかして笑わそうと思ったんだけど、手ごわかったなあ 。笑いをこらえている中井さんの顔がなんともチャーミングでした(笑)
僕は重量感もありますからね(笑)
撮影が終わってカツラを外すと頭から湯気が出ているんですけど、とても心地良い解放感があって、撮影後のビールはうまかった!
落ち武者の格好って夏だとキツイし暑いんですけど、全然苦じゃなかったです
「上杉謙信と同い年です!」というセリフだけで、ワクワクしました。謙信と友人だったなら、「謙ちゃん!六ちゃん!」って呼び合っていたのかな?とか、想像するだけで楽しい
六兵衛は、とにかく楽しい役でしたね。フィクションの役はどんなうそでもつけるから、イメージを膨らますことができるんです
僕は、三谷さんの世界観が大好きなんです。現場にいるだけで、いろんな楽しいアトラクションがあるテーマパークを、グルグル回っている少年のような気持ちになるんですよ。役者としての魂を躍らせてくれる監督なので、今回もすごく楽しみでした
20年前に阪神大震災が起きました。4年前が東日本大震災です。その間にも、新潟や鳥取、いろんなところで大きな地震が起きています。日本全国どこに住んでいてもひとごとではありません
「車は左、人は右。それで本当に良いのか」と先生は尋ねました。「心臓は左にある。心臓が車に近くならないよう、左を歩いた方が安全だ」と言うのです。私は「人は右」というルールにそれまで何の疑問も持ちませんでした。難しい言葉で言えば、既成概念を打破することに未来があるのではありませんか
ハワイアンズのある福島県いわき市と、事故を起こした原発との間に ある広野町に今春、「ふたば未来学園」という県立高校が新設されます。応募が募集定員を上回ったことを知った県教育委員会は定員を増やしたそうですね。私は縁あって、この学園の応援団の一員になっています
自ら立ち直る人たちもいます。私にとっては「常磐ハワイアンセンター」と呼んだ方がしっくり来るのですが、スパリゾートハワイアンズのフラガールのみなさんは震災後、全国キャラバンをやってお客さんを呼び戻しましたよね。つらい時期に、よくがんばってくれたと思います
故郷にはかつて、「前の戦争ではえらい目 にあった」と、太平洋戦争ではなくて戊辰戦争のことを指して言うお年寄りがいました。2年前の大河ドラマ「八重の桜」で私が演じた会津藩家老の西郷頼母(たのも)も、そうした「えらい目」にあった一人です
「死体ではない。ご遺体なんですよ」というセリフも強調しました。小さいころ、親戚の通夜で、母親がずっと遺体に語りかけていた様子を思い出したからです
本当の仮安置所では破傷風の危険もあるので裸足はダメらしいのですが、演技とはいえ遺体の枕元を土足でずかずか歩いて良いのかと思い、靴を脱いで裸足になりました
「震災を体験していない人たちに見て欲しい」という使命感で引き受けたのですが、撮影に入ってからも悩み続けました
出演依頼に最初は「人の命は厳粛なもの。そんなことを商業映画にしていいのか」と疑問を持ちました
まずは、子どもと同じ夢を持ってみてください。子どもは夢に向かって歩き出すわけだから、親も親なりの努力をしなければいけない。そのときには、子どもと同じ立場で肩を組んで歩くんじゃなくて、親は一歩下がって、子どもの行く末を見てやるということが大事ではないか
子どもが夢を持って語るとき、大人は『自分の子どもがとんでもないことを言っている』と思うだろう。それで良い。でも、そのときには、きちんと子 どもの目を見て話してほしい。メールや手紙で話すのではだめ。子どもの目がきらきらしていて、親の勘で『やれるかもしれない』と思える目だと感じたら、受け止めてあげてください。100個考えて無理だと思っても、101個目に何かあるかもしれないと思ってください
生活するために、飯を食うために何とかする―というのではなくて、『そんなことしたら生活はできないよ』と言われるぐらいの大きな夢を持っていい。ぼくは、お金は後からついてくると言ってあげたい。何を言われても夢を捨てないことだ
何事でも最初に持 っていた熱い思いを忘れずに、きちんと自分の中で実現していくことが大事だ
自分の道と同じ道を歩んできた先輩の後ろ姿を見つめつつ、その轍(わだち)というか、トレースを自分の中でも追っ掛けられるように、同じ歩幅で歩いてみる
負けそうになったり、折れそうになったりしたときは、先輩のすごい舞台や映画を見たりすることで『あっちにいけば間違いない』という思いを強くした
演劇にふさわしい才能があるのかと、いつも自問自答していた
応援団の話は小泉進次郎復興政務官からいただき、『政府の中でも福島復興に積極的で、しっかり福島を見てくださっている』と感じて、心地よく受け入れることができた
歌は私にとって前面に出るものではなく、演劇というカテゴリーの中の表現の一つだ
役者という仕事を生業(なりわい)としている以上、自分のいろいろな表現をみんなに見てもらい、感じてもらうことがぼくの唯一できる最大限の応援、支援だと思っている
『釣りバカ日誌』などでお世話になった県内のロケ地の自然は本当に美しく、その自然が原発事故に遭ったことは罪が重いぞ―という気持ちがあった
『自分の親、祖父母の世代は戦後、日本を焼け野原から立ち直らせたんだ』と自分に言い聞かせて、復興支援のモチベーションを保った