自分と同じであることを「正しい」とか「当然だ」と過度に思い込まないようにさえすれば、「私」とどう違うのか、どのくらい近いのか遠いのか。そのスケールをもとに質問を広げていくことは、有効な手立ての一つとなり得ます
阿川佐和子
わたしがもしも昔の時代にいたら、いま任天堂がやっているのとおなじような方法をとったと思うよ。でも、環境が変わったでしょう?周囲が変 わったでしょう?ぼくらが変わらなかったらどうなる?ゆっくり死ぬ道を選ぶ?それとも、もっとたくさんの人が未来にぼくらの作ったものでよろこんでくれるようになる道を選ぶ?
岩田聡
出会う人の数って、そんなに変わらないと思うんです。でも、人脈が広がっていく人と、そうでない人がいる。それは、「自分という人間に興味を持たせることができているかどうか」の差じゃないでしょうか
鈴木おさむ
自分の周りが見えるという余裕ができて初めて、本当に周囲が見えてくる。他の人はそうではないかもしれないが、とりわけ「おれの尺度、おれの 考え」という点で、この観察眼は非常に大切なんだ
落合博満
年齢を経ていくと人生が下降していくようなイメージを持っている人も多いかもしれませんが、私は決してそうではないと思います。たくさんの経験があるということは、それだけ選択肢をたくさん持っているということ
伊達公子
何かに対して「使命」を感じるとはどういうことであろうか? それは何が「正しく」何が「最善」であるかという、あなた自身がもっている高い理念を達成させるために自分の仕事をすることであり、もし、その仕事をしないでいたら「指摘される」からするという のではない、ということではなかろうか。これが「熱中するということ」であり、自分の使命を全うするためには、誰もがもっていなければならないものなのである
ナイチンゲール
人間であるわれわれが『こいつは人間だ』と思えば、それは人間であり、人間がどういうものか確定できる。つまり、ロボットは人間の鏡のようなものなんですよ
石黒浩
偉くなる人とそうならない人と、差が出てくるかっていうと、同じ話を聴いても、聴き方、受け取り方が全然違うからなんです。受け取ったことを自分の人生に、どう応用していくかということだけの差な んです
中村天風
もし、人より素晴らしい世界を見よう、そこにある宝にめぐり逢おうとするなら、どうしたって危険な道、恐い道を歩かねばなりません。そういう道を求めて歩くのが、才能に賭ける人の心構えなのです
瀬戸内寂聴
人を笑わせる行為って、最も客観性が必要なことよね。しかもそれってとても自虐的要素の強い作業で、己が人様からどんなふうに見られているのか、何を求められているのかを冷静に判断できなければ、そこに笑いは生まれない。客観性って、いかに自分を曝け出せるのか、嘘を付けずにいられるのかなんだろうね
マツコ・デラックス
人を笑わせる行為って、最も客観性が必要なことよね。しかもそれって、とても自虐的要素の強い作業で、己が人様からどんなふうに見られているのか、何を求められているのかを冷静に判断できなければ、そこに笑いは生まれない。客観性って、いかに自分を曝け出せるのか、嘘を付けずにいられるのかなんだろうね
「私はどういうことができるんだ」「どういうことが、人よりうまいんだ」「どういうことをしたら、人を追いぬけるか」ということを知らないと、競争には勝てない。人と人との競争でもそうだし、会社 と会社との競争でも同じこと。社員の一人一人が、その得意の分野で最大限に能力を生かしてこそ、その会社が競争に勝ち抜けるのだ
盛田昭夫
公共性というのは、結局みんなが正しいと思うものじゃないですか。法律で規定されていないけれど、みんなが正しいと思うものが公共だとすると、みんなが間違っているときというのは、やっぱり誰も止められない
ひろゆき
会社を辞めたい、今の環境を飛び出したい理由が「今の仕事は合わない。とりあえず変えたい」と現実逃避になっていたり、「時間の無駄だ」と思ってしまったりしていることなら、それ は仕事云々の話ではなく、その人のマインドセットによるもの
森本千賀子
自分の能力を発揮できない職場、必ずしも「自分はこの職場でなくては」という強い希望を持ってその職場を選択したとは限らぬのに、いつまでもそこに腰を据えていることは、社会全体の不利益にもなるだろう。自分の欲するところに就職する機会を多く持てるような環境を作ることこそ、人材開発の大前提なのである
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