幻(げん)はマボロシと訓(よ)むなり。天竺(てんじく)にては術師の事を幻出師(げんしゅつし)と云ふ。世界は皆からくり人形なり。幻の字を用ひるなり
山本常朝
われら儒者が主体を涵養する場合、けっして主客関係と遊離したりしないで、ひたすら天然自然の法則にまかせること、それこそが努力することになるのである。仏者は、むしろ、主客関係をすっかり絶縁しようとし、主体を真に存在するものではないとみなすから、だんだんと虚無寂滅の世界に埋没してしまい、世俗社会とはつゆほどの交渉も持たないようになってしまう。だから仏者は天下を統治することができないのだよ
王陽明
聖人は未来を予知することを重視しない。禍福にみまわれることは聖人とて免れないことだからである。聖人は機を洞察するだけであり、それこそ一つを洞察すればあらゆることがわかるのだ。もし未来を予知する心があるとすれば、それこそ私心であって、利に走り害をさけようとする意図があることになる
人間の主体そのものは天や淵と同じである。我々の本体はすべてを包括しているから、もともと一つの天なのである。ただ私的欲望にさえぎられるために、天の本体が見失われてしまうのだよ。我々の創造発見するのは果てしがありませんから、もともと一つの淵なのである。ただ私的欲望にふさがれているために、淵の本体が見失われてしまうのだよ。もしいつも良知を発揮することを自覚して、このさえぎりふさぐ原因をすっかり取り去ったならば、本体はもはや回復するから、もとの天・淵になるのさ
汝の胸中もとこれ聖人。人の胸中おのおのこの聖人あり。ただみづから信じ及ばず、すべてみづから埋倒し了るのみ。道は即ちこれ良知、良知は原これ完 々全々、是なるものはその是に還し、非なるものはその非に還す。是非はただそれに依り着き、更に是ならざるところなし。この良知も還たこれ汝の明師
心は即ち理なり。天下にまた心外の事、心外の理有らんや。ただ心の人欲を去り、天理を存する上にありて功を用ひれば便ち是なり
ある人は、碁は、しまうときは白黒と二つのゴケに入れるが、将棋は一つの駒箱におさめ、戦い終わると敵も味方もない、といって将棋の美風を讃えた。まったく同感である。将棋は盤上の攻防は峻烈で、勝負そのものはきびしいものであるが、その精神はあくまでも仏心である
升田幸三
この四つのもの(資本、労働、経済の能力、企業心の働き)が揃はなければ生産力は伴はない、企業心と云ふものがなければ物の改良も拡張も出来ず、新規の仕事も起せない。多少の危険がある。初めて企業を起す、それが先駆となつて商業でも製造工業でも発達して行くのである。その企業に必要なのはやはり経営者なのである、それだけ力のある人が経営しなければやはり外国との競争に対抗して行く訳にはいかない
高橋是清
今どきの奉公人を見るに、いかう低い眼の着け所なり。スリの目遣ひの様なり。大かた身のための 欲得か、利発だてか、又は少し魂の落ち着きたる様なれば、身構えをするばかりなり
少し眼見え候者は、我が長(た)けを知り、非を知りたると思ふゆゑ、猶(なほ)々自慢になるものなり。実に我が長け、我が非を知る事成り難きものの由。海音(かいおん)和尚御咄(おんはなし)なり
人間一生誠に纔(わづか)の事なり。好いた事をして暮すべきなり。夢の間の世の中に、すかぬ事ばかりして苦を見て暮すは愚(おろか)なることなり。この事は、悪しく聞いては害になる事故、若き衆などへ終に語らぬ奥の手なり。我は寝る事が 好きなり。今の境界相応に、いよいよ禁足して、寝て暮すべしと思ふなり
酒盛の様子はいこうあるべき事なり。心を附けてみるに、大方飲むばかりなり。酒というものは、打ち上がり綺麗にてこそ酒にてあれ、気が附かねばいやしく見ゆるなり。大方、人の心入れ、たけだけも見ゆるものなり。公界物なり
武士たるものは、武道を心掛くるべきこと、珍からしからずといへども、皆な人油断と見えたり。其の仔細は、武道の大意は、何と御心得候か、と問ひかけられたるとき、言下に答へ得る人稀なり。そは平素、胸におちつきなき故な り。さては、武道不心がけのこと、知られ申し候。油断千万のことなり
人間の一生などは、ほんとうに短いものだ。だから好きなことをして暮らすのがよい。つかの間ともいえるこの世において、いやなことばかりして苦労するなんて愚かなことだ。だが、このことは、悪く解釈すると害になるので、若い人たちにはついに教えることのなかった「人生の秘伝」といったものだ
(大阪万国博覧会の会長としての言葉)本来、政府の仕事ですぞ。百億でやれといわれれば百億のものを、一億でとあれば一億のものをつくる。こちらはそれだ けのこと。それでいいんですか
石坂泰三
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