俳優の名言集
男のお洒落というのは、本筋、でなくてはならぬ。スタンダードでなくてはならぬ。場違いであってはならぬ、のです
伊丹十三
肝腎なのは、ともかくも一冊の本を読みとおすということであって、理解なぞ二の次でよろしい。一冊の本を読みとおしたものだけが、二冊目に取りかかれる
世界一のマッチの条件とは何か?必ず火がつくとか軸が折れないなんていうのは、これはマッチの最低条件だから勘定にはいらない。世界一のマッチの条件は、擦ったとき、においがしないこと、そして、頭が落 ちないことなんですねえ
古本屋で洋書をぱらぱらめくってみると、よく、第一ページだけ丹念に辞書を引いたらしく、ぎっしりと書き込みがあり、二ページ以下、全く新品同様という本がある。あれは悲しい
僕は葬式の中に映画を見ちゃったんですね。葬式という形で、映画が丸ごと天から降ってきた、という気がしました
押し入れや台所の飾りつけの時、置かれている箱類や商品類の文字を徹底的に排除している自分に気づく。文字が映るとどうしても目がそこへ引きつけられる。それを避けるためなのだが、それよりもなによりも、文字たちの醜さが許し難いのだ。これも病気である
「父親」とは何者か?自分の母親と切れている者、従って相手を「母親」として扱わぬ者、死んだ父親の言葉を子に伝える者、自分で耐えるべき不快に自分で耐えることを知っており、それを子に伝える人である
一体、男の誇りはどこにあるのか。男ならやせ我慢で押し通すべきではないのか。忍の一字、これがダンディズムというものではないか
それにしても微量のものの表情は難しい。しみじみとしあわせな表情、ほのかなしあわせ、かすかな笑み、わずかな老け、人にわからぬ程度のほろ酔い、等。原節子は偉大だった
今日はやや疲れ気味。こういう日は体がカット数を増やしたがらず、あらかじめ作ったカット割りを現場で壊し、長いカットに単純化してゆく。コンテは必ずしも理屈ではなく、多分に生理的なものであるようだ
テーマをたてるということは実に厳しいことなのです。一つのテーマをたてるということは、当然なにかの犠牲を伴うわけだ
時代は進歩しているのであろうか
誰が悪いのでもない、日本語でパリを語るということ自体がダメなのです
僕の考えじゃ、女の人っていうのは、付き合いの天才だと思うわけです。そりゃなんたって、お腹の中に赤ん坊を10か月も入れているわけですから、人間関係の根本っていうものを押さえているわけです
人生において、自分がより自分になってゆくことにおいて、初めて他者は「自分ではないけれども別の自分である」ような存在として見えてくる
藩を飛び越えて、日本というものを考えるということは、よほど精神の自由で発想の豊かな人間にしか出来なかったに違いないと思うわけです
「これ見よがし」のスタイルが現れると何の選択の基準もなく、次から次へと手を出す。刺激の強いものでないと、着ている気にならない、という、一種の病気のようなものにみんなが取りつかれている
まず私が声を大にしていいたいのは、「スパゲッティは饂飩(うどん)ではない」ということだな
恋なんていうものは、そもそも回を重ねるに従って難しくなっていくようにできているのである
テレヴィジョンの仕事を愛するものにとって本当に喜ばしいことは、テレヴィジョンを見る人が増えることではない。くだらない番組と思えば遠慮なくスイッチを切る人が増えることである。スイッチというのはその為にある