確かに30代は思い通りにならない時期が続きました。僕は18歳で音楽を志して上京し、28歳でデビューしたのですが、あまりいい結果を出せず、32歳で契約が終了しました
馬場俊英
例えばさ、10代の頃にできなかったからって、諦めなくていいと思う。20歳になった30歳になった40歳になった時に、「あっ、あの時、出来なかったことを、今なら出来る」っていう大人になっているかもしれないじゃないか。だから、もう1回でも、何回でもチャレンジできると思うぜ
甲本ヒロト
たくさんの人が「12か13才の時に、レコード会社に行って音楽業界に飛び込むなんて勇気、よくあったね?」と聞きますが、それは学校で感じた拒絶感を感じないことを分かっていたからです。 音楽業界はもし”no”と言うとき、少なくとも丁寧ですから
テイラースウィフト
CDをかばんにつめ、意気揚々とショップ回りに出かけていったんです。自分は売れなくともメジャーで活動していた人間だから、店に行ったら「馬場さん新しい曲作ったんですね」と喜んでもらえると勘違いしてね
ダウンタウンさんといった方々にあこがれて入ってきているから、どちらかといえばイジる方というか、価値を作り上げる方を目指していましたから。そこが変わってきたのは『どうした品川?』のころからです。あれだけけなされても、しっかり笑いになるんだって気づいたんですよ
品川祐
親愛なるミラニスタ(ミランのサ ポーター)のみなさん、ありがとう。この3年半は常に挑戦が続いたが、おかげで人間として成長させてもらうことができました(※2017年5月21日)
本田圭佑
当時ひねくれていまして、不遜で、生意気で、世の中なめくさっていた。そのくせ何もやったことがなかった。それが亡くなった初代の横澤彪プロデューサーから(番組を)仰せつかりまして、大体3ヶ月くらいか半年くらいで終わると思っていたら、32年も続きまして(笑っていいともグランドフィナーレより)
タモリ
正直なところ、両方できないんだよ(笑)。ものすごーく微妙なところに2人と もいるんだよね。それでずーっと今まで来ちゃったから、今さら俺がボケで憲武がツッコミでとか条件つけてできなくなっちゃった
石橋貴明
僕は引きこもりをしていた十代のころと比べてメンタルが強くなったという訳ではなくて、じつはいまでも、急に「今日は人と会いたくない」と思って打ち合わせをキャンセルさせてもらうこともあります。そんなわがままを許さない相手も当然いて、いまでもしょっちゅう怒られています(笑)
家入一真
性格はポジティブなんですけど(笑)、落ち込む時は落ち込むんです。現役時代は、しっかり練習して一日が終われば、きょうは8割できた、9割できたと、充実感と達成感を感じられたのに、この仕事に就いてからは反省ばかりで、『きょうは20%、30%しかできなかった』と落ち込んでしまうんです
高橋尚子
サントリーホールでの古隆さんの40周年アニヴァーサリーコンサート。ゲスト出演で演奏させて頂きました。加古さんの音楽に夢中になってた18歳の僕が今日の事を知ったらびっくりするだろうなあ
葉加瀬太郎
本当に母乳をあげながら(頑張っていますよね)。子どもが夜泣きをするから睡眠時間も少ないそうですよ。子どもだからいろんな病気ももらってきてしまって、病気のことを気にしながらの競技生活なんですけれども、それを楽しんでいる小﨑さん、素敵だなぁと思います
増田明美
僕は今、スターになっている人を20人くらい、オーディションで落としたり、プロデュースを断ったり、クリエイターとして興味を持てませんでした。 僕の目は節穴です。 いや、みんな節穴なんです。 きっと、自分の能力、努力をわかってくれる人がいると思えばいいんです
秋元康
オレは芸能界に入る前に5つの夢があったんですよ。『ヤングおーおー!』に出る『ヤングタウン』やる『オールナイトニッポ ン』やる堺正章さん、大原麗子さんとドラマ共演するというのが夢だったこれを25の時に早々と全部叶えたんですよ
明石家さんま
1人の人間が、天職に出会うというのは決して生易しいことではありません。人生の再出発をした27歳のときに、35歳(1987年)までに一生の仕事を見つけるという目標を立てたけれども、結局『これぞ我が天職』と自覚できたのは、35歳どころか45歳(1997年)のときなんですから
河原成美
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