(稲垣について)心から尊敬してます。一緒に20年もお仕事できて本当に良かった。吾郎さんは生き方が上手。自分の気持ちだとか、表現方法がうまい。頭がすごくいいんですよね
草彅剛
さよなら公演で、力を使い果たしたんです(笑)。大きな節目ということで、ちゃんとしたものをお見せしなければならないという気持ちがあり、没頭しましたから。しばらくは、芝居から離れて、客観的になりたいなと。一方で、これからは、“若い”“きれい”ではない、新しい役に取り組んでいきたいという思いもあります。でも、次のステップに行くためには、続けながらだとわからないし、一度、自分を緩めてやりたかった
坂東玉三郎
今の梨は過保護なんですよ。昔の梨って、芯ってめちゃくちゃすっぱかったんですよね。みんな芯が残れば捨てますよね。そういうの見るとすぐスイッチ入っちゃうんです僕は。あいつらは梨に負けてる、と。子どもの頃って何でも純粋に勝負しちゃうんです。自分がすっぱいと感じたら、梨に負けたことになる
古賀稔彦
湯川(秀樹)さんの影響ですね。その頃急に有名になられましてね。まあ1種の国民的英雄だったわけです。その影響もありましたね。まあそういうことで物理に行ったと思いますね
南部陽一郎
私自身のバッターとしての才能は、はっきりいって二流でした。打率でいえば、いいとこ2割5分です。けれども、戦後初の三冠王をはじめとして残した結果は一流だと自負しています。何故そんなことができたかというと、人の何倍も努力したからです
野村克也
いま、企業で働く中高年には、夢をなくしていた頃の私とだぶる人が多いような気がします。会社の業績もいまいちで、何とはなくしょぼくれている。年齢的にも「もう限界」と挑戦を諦めているのではないでしょうか。でも、私がそうだったように、50歳、60歳からでも相当のことができるんです
三浦雄一郎
前々から60歳を過ぎたら子供と一緒に野球をする時間を持ちたいと思っていました。全国を回って、そういう機会が持てればと思っています。とはいえ、あんまり社会性がないので、気楽な生き方が一番というのが本音なのですが
衣笠祥雄
バスキアやMoMAの取材をさせてもらいました。そのときに、ニューヨークで個展をやるって決めたかな。「呼ばれなくても行こう」と、そういう意識が自分の中で高ぶりました。 あと、名前と作品が一致していないけれど、刺激を受けた作品もいっぱいありました
木梨憲武
今でも薄目をあけてここが病院なんじゃないかって思う時がある。治ったのが全部夢なんじゃないかって。俺、事故の後のほうが評価上がってるしさ、映画も。それくらいトラウマになってるんだよ。事故起きたら時間がどれくらい経ってるかとかもわからないしね
ビートたけし
私の場合は、海外の施主はすべて外国人です。パートナーを組む設計会社や建築会社も外国企業です。相手が日本人でないから、意思疎通は上手くいかないし、当然リスクも高いです。でも、そういう緊張感の中で仕事をしなければ自分が向上しないでしょう。日本人同士で仕事をすれば安全かもしれませんが、それで鍛えられることはありません
安藤忠雄
持続が大事だということは建築写真家の二川幸夫さんも言っています。「ポッと出て5年もつ奴はいる。10年もたてば建築家らしくなる。でも、30年もたたなければ、自分は建築家と認めない」と。30年トップクラスで活躍できる人というのは、本当に少ないですね
(高橋尚子杯 ぎふ清流マラソンについて)引退して、ようやく少しでも地元に恩返しができる機会ができたかな。現役の時代から陸連の方に『高橋尚子杯をやろう。ジュニアも育成しよう』と言っていただいて、何か形に残すことができたらいいと思っていました。それにプラスして、マラソン大会はこんなに楽しいということをみんなに知ってもらいたかったんです
高橋尚子
僕はこれまで成功を手にした人にたくさん出会ってきました。この人たちは何が違うかというと簡単です。「行動を起こしている」ということです。成功できなかった人は必ず後からついてくる。「自分も同じ事を考えていた」と言って。実行に移す人は案外少ないんですよ
秋元康
アメリカと中国は異なる国ですが、似ているところもあります。それは「自分が正しいと思ったらルールも破る」という点です。自分が正義だと思っているから信念がある。邪魔をされたら裁判に訴えるなどしてでも我を通す。日本と日本人にはそれがないですね
中村修二
最初から強い人はいないわけで、やはり最初は負けっぱなしですから。「何を!」と思って続けていく人が強くなるのでしょう。それは何にでも最初あるんでしょうね。「負けず嫌い」というのがないと上がれない
谷川浩司
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