友人達から「放っとけばいい」と言われる。しかし、少なからず影響力を持った人間達が「放っておいた」故に出処もわからない妙な価値観が幅を利かせている。そしてそれを子供が信じてしまい、萎縮して自分の可能性を自ら殺してしまう
紀里谷和明
どの人物もおおむね立派なことばかりやっている。幸せも不幸も浅い足跡しかつけず、人々の目標も、普通に生きられればそれでいい、というふうに変ってしまった
色川武大
お互い見ず知らず同士で売ったり買ったりしているのだ。だから商品が画一的になる。問題は値の安さや、品物の新しさということになり、自分がどうしてこの品物を手にしなければならないのか、自分独特の納得がいかない
学校VS学校、これが、僕らが高校生のころのケンカだった。~中略~ 学校対学校だから級友の誰もが愛校精神に富んでいた。何より友情を重んじた。先生も、崇めた。そういう意味で、学校VS学校のケンカというと大げさに聞こえるかもしれないけど、少なくとも僕たちの精神は非常に健康的だったということは言えると思う
石原裕次郎
自分にどこか欠けているところがあると思い込み、それを物質で埋めようとする行為は必要ない。ほとんどが欠けていると思い込まされているだけ。欠けている人なんかいない
集団は臆病者が好む。厄介なのは臆病者には強いコンプレックスがあり、数という武器によって自らの臆病ゆえに抑え込んだ日頃の妄想を実現しようとする。そしてそこには人間性は既になく、信じられないような残虐性だけが残る
偽善者と言われるのを死より恐れている人達が多い。その気持ちはわからなくもない。しかしその恐れに屈してしまうと、手も足も出なくなる。そしてもっと良くないのが、屈した自分の不甲斐なさを正当化する為に、他人の偽善叩きにまわってしまう。この図式、ゾンビが増殖するのに似てる
レコード会社なんか無視しろ。彼らが隆盛を極めた時代もあったが、彼らが見せてくれたのは、腐敗した政治活動以外の何ものでもなかった。俺たちは、できるだけ多くの人々に音楽を聞いて欲しいんだ。だから、レコード会社も進歩しろ。お前らの時代は終わった
ジョン・ライドン
会うたびに目新しいことを言う人は人当たりがよくて人気者になるが、それは確固たる一つの信念を持っていないことの証拠だ。信頼し得る人物ではない。人に好かれることと信頼されることとは別物だ
野村徳七
「怒りの沸点の低い人」には係わらないこと。もし、家庭や職場など距離が近い所に怒りの沸点が低い人がいたら、自分を成長させてくれる人ではないと割り切り、心の距離を置くこと。成長には時間がかかり失敗も当然あるが、その度に怒られていたら心が持たない。成長を「待っていてくれる人」が大事
小池一夫
歴史を振り返ってみれば過去にいくらでもヒントはあるのに、先入観や固定観念に左右されてなかなかそこからは学べないのが人間というもののようだ。けれど、その盲点がビジネスをする人間にとってはチャンスでもあるわけだ。誰も気がついていないからこそ、アイデアの源泉になり得る
三木谷浩史
「真面目に働く」というのと、「儲かる」ことは、相関関係は無い。残念なことではあるが、真面目にやっても潰れることがある。社長が真剣に社会に貢献しようと頑張っていても、社員が夜中まで血のにじむような努力をしていても、容赦ない。最高にいいやつでもガンになってしまうのと同じように、真面目で、誠実な会社でも潰れる。これが現実である
神田昌典
人を笑わせる行為って、最も客観性が必要なことよね。しかもそれってとても自虐的要素の強い作業で、己が人様からどんなふうに見られているのか、何を求められているのかを冷静に判断できなければ、そこに笑いは生まれない。客観性って、いかに自分を曝け出 せるのか、嘘を付けずにいられるのかなんだろうね
マツコ・デラックス
理論に自信があれば、2つのものをつなげたら何が起こるか、理論で結果を想定するだけで、何もしなかっただろう。だが幸か不幸か、私は何の学歴もない。だから、何でもやってみなければ分からないではないか。それで私は何でもつなげてみた。そうしたら、信じられない面白いことがいっぱい起きた。それが私の発明の秘訣だ
エジソン
どんなアート作品にも決まった見方はありません。何を感じ取り持ち帰るか各人の全くの自由です。日常生活には大小様々な決まりごとが満ちているが、人は自分の頭と心の中に、どこか自由な部分を確保しておいた方がいい。アートに接することで自由な発想を担う脳の部分を鍛えられるような気がします
秋元康
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