(中学2年生でプロ棋士になった当時を振り返って)まだ、プロとしての実感があったとは思えません。ただ、一生将棋を指していけるという喜びは心に残っています
谷川浩司
(次のリオデジャネイロ五輪までの4年間は、長いですか?)いや、そんなこともないと思います。アテネからロンドンまで8年間、あっという間でしたから
伊調馨
僕は何かに挑戦するとき、必ず最初に\"決心\"してから始めます。漠然と強くなりたいということではなく、「世界選手権で1位になる」「絶対にオリンピックで金メダルを獲る」というかなり具体的な決心を持っています
古賀稔彦
いまにして思うと、盗んで学んだものは忘れることがないんですが、一方的に先輩から教わったものはすぐ忘れます。心のどこかに、忘れたらまた聞けばいい、そんな気持ちが働くんでしょうね
青木功
いまにして思うと、盗んで学んだものは忘れることがないんですが、一方的に先輩から教わったものはすぐ忘れます 。心のどこかに、忘れたらまた聞けばいい、そんな気持ちが働くんでしょうね
(幼少時代)下手は下手なりに努力しましたよ。そうしたら、僕は野球では努力が報われるタイプだったみたいで次第に上手になっていきましたね
石井一久
世の中に、ポイントを稼ぐ柔道が流行する中、私は一本柔道に徹したがために一年間負け続 けたこともありました。ただ、得点を稼ぐ柔道をしている選手に出会うと、自分が本当の柔道を伝えなければならない、という思いがありました。だから、技術も、精神力も強くなるように、いっぱい練習を重ねました
谷本歩実
僕自身も、狂言師の宿命を背負って生きることに負の意識を抱くこともありました。宿命を力に変える部分で、杉の市と類似するものを感じます。私ももう立派な中高年ですが、杉の市の享年28の人生を生きてみて、己の生き方についても考えさせられましたね
野村萬斎
父のリハビリの様子を見ていた僕は、「人間いくつになっ ても夢をあきらめなければ成し遂げられるんだ」と実感しました。「自分も人生このまま終わってなるものか」と再び情熱が沸き起こりました
三浦雄一郎
誰よりも故・根本陸夫さんにはお世話になりました。入団3年目に監督としていらっしゃったのですが、ひと目見た時から、この人には逆らえないと感じました。人生の箍(たが)ははずしちゃいけないと教えられました
衣笠祥雄
僕はもうかれこれ30年も小説を書いてきたことになりますけど、ホントにまだ発展途上だと思っています。だから、他人のことをとやかく言えるような余裕はまったくないんです。目の前にある、いま、自分が書いている小説のことだけで精一杯ですから
村上春樹
当たり前のことですが、人生で失敗しないことなどあり得ません。40歳を過ぎていろいろなことがわかってくると、むしろ時には負けたり、引き分けたりすることが人生なのだと気づきました
秋元康
連続ポイントを取られると不安になりますが、『オレは最強だ!』の文字を見ると〈自信を持っている自分〉になれる。メンタル トレーニングを積むことによって、気持ちの切り替えができるようになりました
国枝慎吾
新日鉄に入った時もそうでしたが、後輩のことを考えて行動しなければならないという思いがあったので、その面でも責任を感じていたんです。自分の振る舞いが、後に続く人に影響するんだというのは、すごく思ってました
野茂英雄
私の場合、最初は、姉の真似をしてテニスをやりはじめただけでした。その頃は、「家族と一緒にテニスを楽しめたらいいな」「体を動かせて楽しいな」と思っていただけだったのです
上地結衣
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