王族の名言集
後悔しないで最後の日を迎えたいと思うなら、今この瞬間を他人を思いやることに使うべき
ダライラマ14世
仏教とは煩悩を本当の敵と見なして、煩悩を受け入れない態度を取り、煩悩を滅する為の対策を講じるという実践をする宗教
苦しみの多くは考え過ぎることが原因
究極的な本質を言い表せる特徴など、物事には一つもない
自分を変えるのは、一生をかけての大変な仕事
幸せな母親は幸せな子どもを産む
私にとって良いことは他の人間にとっても良いはず
最高の人間関係とは、お互いを必要とする気持ちよりも、お互いを愛する気持ちのほうが大きいものである
他人への配慮の大切さを最終的に実感できるのは、言葉ではなく行動
メディアが人間の性質の悪い面ばかりを取り上げることに危険がある
良い死を迎えたいならば、よく生きる術を学ばなくてはなりません
攻撃性は人間の奥底に潜んでいます
本当の意味での規律は外から押し付けられるものではなく、自分の内面から発するもの
仏教では転生は現実だと考えます。それは事実なのです。輪廻と呼ばれる転生のサイクルが、まずあり、その中で時折、化身という現象が生じる
モノを考えるという知性と能力を持っていることが、心の中により多くの苦しみを生む原因にもなっている
全ての必要な条件が整っている素晴らしい環境に恵まれていても、その人の心の持ち方によっては少しも幸せではないということもある
鋭い洞察力を得る為には、まず心を静かに留める「止」の力を得なければならない
禅定の力を得る為には、戒律を守って悪い行いを慎むことが必要
人間は一致団結して、新たな精神性を見つける必要がある
心の中に良き変化 をもたらす為には、自分が心から望んで喜びを持って変えようとするのでなければなりません
煩悩が私たちに及ぼしてくる様々な悪影響を考えてみると、煩悩は自分自身を惨めな状態に貶めるものであり、一時的にも不愉快な気持ちになり、最終的にも全ての素晴らしきものを失う元凶となる
慰めや安心を得ることで恐怖は随分和らぎます
私たちの心の本質は、今は一時的に煩悩によって汚れているわけですが、いつの日かその汚れを滅することができたなら、その時の汚れのない心の本質こそ、苦の止滅であり、解脱
忘れることのできない強烈な経験も、あとになって考えてみると、大したことではなかったと思えることがある
幸せは内面の成長から生じる
感情と意識は別
思いやりを育て、その先の幸せにつなげる為には、二つのことを同時にしなければなりません。
一つは思いやりを妨げる要因を抑えること、もう一つは思いやりを起こさせる要因を大事にすること
平和、正義、自由への人間の愛は、必ず最後には残虐行為や抑圧に勝ちます
自分の利益よりも他人の利益を考えて心を決めれば、良い行動ができる
人間は自分の中に菩薩を生み出すべき
人間一人一人の中に、時間の始まりから仏陀の境地に到達するまで、この繊細な心は存在し続けます
怒りや恨みや悪意など、誤った思考や感情をそのままにしておきながら幸せを求められるはずがありません
人間の命は皆、人間の愛情を第一の支えとして歩み出します
無力感や絶望感が生じるのは、たいていの場合、現実の状況そのものではなく、その人自身の状況の捉え方に問題がある
自分が賞賛を受けた時には、それに慢心して、自分を過大評価しないように
私たちが現在の瞬間を「今」と称したところで、その言葉を発したとたんに「今」は過去になってしまいます
幸せを追求できる自由、個人的な見解をはばからずに表明できる自由も、心の平和になくてはならないもの
自分というもの、他人というものは、どちらもお互いの関係の中でしか理解されません
自分を信じられなければ、常にもどかしさを感じることになる
苦しみに対してどう立ち向かうかで、 苦しみの感じ方には大きな差が出てきます
感情を否定して押し殺してばかりいると、その人の中には、きっと怒りが溜まってきます
人間の営みは、全て基本的に立派で気高いもの
満足を知る、これは平和的な共存に欠かせない要素。満足を知らなければ、人は果てしなく貪欲になる
普通の感情と平和を乱す感情との大きな違いは否定的な考えが加わっているかどうか
誤った助言を与えている 思考や感情は、それ自体が一種の苦しみ
人はつい、自分の置かれた状況の一部分だけに目を向けてしまう
大切なのは肝心なことを放置して、無意味なことに時間を費やしてしまう癖
チベット医学では怒りは多くの病気の主要な原因
徳を実践するのは、小さい子どもを育てるようなもの
宗教と精神性をハッキリ区別されるべき
問題の解決が可能であるなら、何も不安に思うことはありません
各宗教が「唯一の真実、唯一の宗教」を主張していることと、現実に多くの宗教があることは一見矛盾しているように思われますが、別に矛盾ではありません
瞑想して自分自身の中にゆっくり降りていくと、私たちの中には安らぎの感覚があると分かります
慈悲は自分を守るために最も有効なもの
一つ一つの個別的な宇宙は生まれたり消えたりして、遠大なサイクルが次々と続きます。しかし、宇宙の全体、心としての宇宙は、ずっと存在する
持ち堪える力があれば、逆境を前にしても心の平和を失わずに済みます
心掛け次第で私たちの行動は、道徳的なものになるかならないかが決まる
本物の自信と謙虚さを養う為の一つの方法は、実際に自分を過大評価している人を例にして考えてみること
謙虚さは自分を変える為には不可欠な要素
自分の存在は小さ過ぎて何かに影響を与えることなどできない、もしそう感じているなら蚊と一緒に眠ってみなさい
愛情とは他者が幸せを掴むように望む気持ちです
菩薩は希い(ねがい)に満ちている
あなたが生きたいように生きるようとする意志を邪魔するものは何ですか?
人があなたを何と呼ぼうとも、あなたはあなたでしかありません
他人の行動の結果として、私たちはこの世界に生まれてきます
物資的な豊かさだけで幸せになれるわけてはない
偉大なる愛と偉大なる成功には、大いなる危険が伴うことを忘れないように
不安は何の役にも立ちません
仏教の教えに従う本物の修行者であるならば、煩悩こそ自分の本当の敵だと認識して、それを自分から望んで受け入れるようなことは決してしない態度が必要
掻き乱された心を一気に良い心に変えてしまおうというのではなく、呼吸というニュートラルな対象に集中することによって、心をニュートラルな状態に戻し、掻き乱された心を鎮める
どれほど崇高な目標があったとしても、極端な努力をしてしまうと、続かない
勉強することによって知識を得ることができるのであり、その知識を道しるべとして実際の修行に入るわけですから、勉強もせず、きちんとした知識を持たないままで修行の道を歩き始めることはできません
無我の理解は、確かな拠り所によって支えられている
仏教には輪廻の生の苦しみが生じる過程を示した「十二縁起」という概念がある
完璧な修行の道とはどのようなものなのかと言うと、小乗と大乗に密教の修行も加えた全ての修行の道を、段階を追って一つずつ積み上げていかなければなりません
あらゆる物事には原因がある
私たちは空なのです。人間を構成する物資は、いわば空なのです
敵は自分を高める貴重なきっかけを与えてくれます
全ては縁起する
人は皆、成就や幸福を探し求めて、それぞれ違う道を歩みます。
誰かが人とは違う道を歩んでいるからといって、彼らが道に迷っているわけではありません
否定的感情によって支配されている人々は、私たちの慈悲の対象となるべきです
穏やかな心を持つ人は、良い友人たちを引きつけます
過去に犯した悪いことをどれだけ思い悩むにせよ、無気力になるまど悩んでしまっては意味がありません
毎日いくらかの時間は一人で過ごしなさい
自分ができることに対して、現実的な見方をする必要がある
どうか妬みを捨ててください
私たち人間には、愛や思いやりを称えられる能力があります
砂に1本の線を引いた途端に私たちの頭の中には「こちら」と「あちら」の感覚が生まれます。この感覚が育っていくと、本当の姿が見えにくくなります
不幸な出来事は怒りや絶望を生み出しもするし、精神的な成長を促しもする。
結局どちらになるかは私たちの受け取り方次第
心の平安があれば、健康もついてくるでしょう
人々の苦しみを自分のものとする事で、少しでも人々の支えになれるよう努めだけ
私たちの作り出した社会は、人々が基本的な思いやりを示し合うことを日増しに難しくしている
本当の幸せとは心の平和
自己の内面を訓練する習慣をつける
訓練されていない心は象のようなもの
悪い行いをすれば自分で自分を苦しめる
財産や地位につられた友人に囲まれても、こちらがいざ悲劇に見舞われれば、そうした「友人」は去ってしまう
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