十七で人を憎しみ、殺したいと思い、モデルの世界に入ったわたし。貧乏をのろい、バラック小屋をのろい、ふつうの家庭に育つ級友を羨ましく思い、わざと悪びれて、タバコを吸い、不良仲間とタムロし、先生に刃向ったわたし。わたしがのろいつづけた、わたしの境遇。劣悪な境遇。でも、それは、全部、必要なことだったと、空が語っている。だって、そんな不遇になかったら、今のわたしはいないから
冨永愛
僕はショービジネスが大好きだよ。でもその一方で遊んだり楽しんだりしたいという部分で悲しかった。いつかだか、南米に行く準備をしていて、みんな荷造りして、車に乗ってたんだけど、僕はもう行きたくなくって隠れて泣いていたんだ。遊びたかったよ。行きたくなかったんだ
マイケルジャクソン
まず、他の子供たちがやっているようなことをさせてもらえない。彼らが当然だと思っているような、小さな事を。友達同士で遊んだり、たがいの家に泊まったり、親友とただ一緒にいる、なんてことは、僕にはいっさい無かったんだ。小さいとき僕にはどんな友達もいなかった。兄弟が友達だったんだ
昔、大嫌いだったのは浅草のことを書いた小説だ。浅草に住んでも居ない人間が、ちょいとのぞきにきて、自分はインテリ、浅草は庶民、そんなふうな顔をしてどこか遠くの自分の家に帰っていく。ああいう小説は許しがたいと思っていた
色川武大
釣りはままならないものである。むろん、だからこそ、男は今日もまた竿を肩に、家を出て河へ、海へと向かうのだけれど、男にとって人生そのまま、遊びもまた……
開高健
世に処するには、どんな難事に出会っても臆病ではいけない。「さあ、なにほどでも来い。おれの身体がねじれるならばねじってみろ」という料簡で事をさばいてゆくときは、難時が到来すればするほどおもしろ味がついてきて、物事は造作もなく落着してしまうものだ
勝海舟
頭ごなしに「こういうもの」だっていうのは気に入らない。ぶち壊したくなる。それはもう高校時代から。先生に机を投げつけたこともあるし(笑)取っ組み合いのケンカもよくしたし
YOSHIKI
もし、「石原裕次郎」が芸名であったら、たぶん腹は立たなかったろうと思う。本名だから、呼び捨てにされると頭にくる。僕を呼び捨てにできるのは、そのころすでに親父はなくなっていたから、この世の中で、おふくろと兄貴の二人しかいないわけだ。たとえ時の総理でも、俺を呼び捨てにしたら許さない...当時の僕は、それぐらいの気構えがあった
石原裕次郎
笑ってるとき、人間はみんな無防備になる。この仕事をやっていて嬉しいのは、その無防備な顔を見ているときだ。どんな美人だろうが、男前だろうが、職業も、性別も、年齢も、なんにも関係なく、笑ってるときはみんな無防備で、アホみたいな顔してる。その無防備な顔を見られる優越感というか、嬉しさというか
ダウンタウン
あんた(いかりや長介)もあれでねえ、よっぽど偉い人というか、変な人というか…。カラッケツでドリフを始めて、飛行機で言えば離陸する大変な時にいてくれて、それから何とか先が見えてきて、さあ、これから楽になるぞ、お金も儲かるぞという時に辞めちゃった。あの時はあんたの人生哲学が理解できなかっ た。『極力みんなに迷惑かけないようにする』って、辞めると言ってからも半年は続けてくれた。あの半年のあんたは凄かった。鬼気迫るというか、本当に面白かった
ザ・ドリフターズ
とにかく、自分の仕事でギリギリまで追い込まれる必要があります。それぞれの仕事を四六時中考える。昔の人は、寝る直前まで仕事のことを考えたし、朝起きた直後から仕事のことを考えていましたよ。でも最近の若い人は、職場の机を離れたら仕事のことなど忘れてしまう。大手企業ならいいかもしれませんが、中小企業はボスが倒れたら全員失業です。にもかかわらず、仕事のことを考えない。残念です……
安藤忠雄
先生が日に日に弱っていき、日に日に痩せてえ、弱音をこぼす。「死にたい」と。私はそんな先生を目の当たりにしてショックを受けた。そして傷ついた
瀬尾まなほ
入社して9年目、私は本店の貸付課長になった。ときに35歳。その間、仕事の関係から酒を飲む機会も多くなったが、酒の席で見た人間は調査に頼らなくとも「これは優良貸しになるかどうか」すぐにわかるようになった。だいたい我々から金を借りながら、自分のめかけ、てかけの芸者をそばに置いて、二次会、三次会をやるような人間にロクな奴はいない
小川栄一
(経団連会長就任直前のころ、家を夜間訪ねた記者に言った言葉)まあ君、ぼくは妻に先立たれたから淋しくてネ。慰問に来てくれたようなものだ。ゆっくりして行ってくれ、ぼくの妻知っているかネ。よい妻だったよ。君、奥さんを大事にしなさいよ。妻はいいもんだよ。写真を見ていってくれるかね。いい女房だったよ
石坂泰三
いろいろな企業と付き合いのある仲間からの情報は貴重だ。なかには運命を決めるような情報だってある。人付き合いをやめたばっかりに、そんな情報が入ってこなかったら、それこそ運命にかかわるんだ。いま仕事が大量に入ってきているからといって、それだけに目を向けていたら、値引きが必至な三年先のダメージは計り知れないってことになる。実際、そんなことで潰れていった会社を、俺はたくさん見ている
岡野雅行
今どきの若者は全くしょうがない、年長者に対して礼儀を知らぬ、道で会っても挨拶もしない、いったい日本はどうなるのだ、などと言われたものだ。その若者が、こうして年を取ったまでだ。だから、実年者は若者が何をしたか、などと言うな。何ができるか、とその可能性を発見してやってくれ
山本五十六
放送作家はみんな「人に話したくなること」が大好きなんです。映画を観ていても「あの映画のここがね」と話せることを探している。八百屋さんに行っても万能ネギを見て「ネギはもともと万能な食材なのに、なぜわざわざ万能とつけるんだろう? 面白いな」と人に話せることを探してしまう。それが発想の素になっているわけです
秋元 康
昨日、食べた晩御飯さえ、思い出せないときがある。それほど、人の記憶はあいまいで、不明確なものだ。だけど、一度愛した女性の名前は何があっても忘れない!!何十年も前の初恋の人の名前さえ明確に出てくる。昨日の晩御飯は出てこないのに。不思議なものだ
ノンスタ(井上裕介)
(少年時代について)丹下左膳を気取って片目を隠しながらチャンバラをして塀から落ちたり、登った栗の木の枝が折れて“いが”の上に落ちたり……。とにかく生傷が絶えませんでした。スズメバチに追われたことも二度ありますよ。ハチノコを焼いて食べるとうまくてね。後先考えずにスズメバチの巣を襲ったら逆に追われてしまったんです。イチかバチかでハチめがけて石を投げたら運よく撃退することができ ました。そのときは本当に嬉しかったですね
松本零士
一番得意だったのは浜口内閣の時にやった予算の討論だ。私は田中内閣の業績と現内閣のそれとを比較して政友会を大いに攻撃した。しまいには政友会側はすっかり憤慨し、鳩山一郎君などはあんな演説を聞くとなぐりたくなるねと議席から演壇の途中まで出てきたそうだが、よせよせあいつは強いからといって引戻されたと新聞に書いてあった。当時は鳩山君も元気だったものだ
堤康次郎
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