いまのキャンプの前身のテントホテルやバンガローもやってみたが、いまとちがって、そのころは利用者もほとんどなかった。なにしろいつも30年ばかり時代より早いことをやっていたもので、思いつきは良いのだが成功はしなかった
堤康次郎
カンボジアのPKOのときは、小さい船に乗って、本当にゲロにまみれて、現地まで行っちゃった。まあ、そういうやり方でないと、行かせてもらえなかったですし、撮りたいものが撮れませんでしたから
宮嶋茂樹
1ヶ月かけて落ちるんだったら、1時間のうちにどん底 に落ちる方がいい。そしたらその残りの29日と 23時間はまた上がってく事に使えると思う
YOSHIKI
10歳ぐらいの時からピアノはひとりで弾いていましたけど、教則本は全然やらなかったんですね。それで14歳で玉三郎を襲名して、お稽古事が始まって、そのひとつの課目にピアノが入っていたんです。けれど、その時もバイエルも終わらないうちに忙しくなってしまって、きちんとはできなかった
坂東玉三郎
僕は50歳になるのが怖かったんだ。実際になった時には「僕もいよいよか」と焦った
萩原健一
オリンピック前はなかったですけど、それこそ始めたころは…はじめ僕、2週間で逃げ出したんで(笑)。とりあえず、練習前に高校生と一緒に800m走を何本も走らされたので、それが嫌で逃げ出しました
村田諒太
わたしの庭を「コテージガーデン」と呼ぶ人もいるけれど、ただ、好き勝手に植えているだけ。思いついたところに道をつけるので、行き止まりに なる小径もあるのよ
ターシャ・テューダー
現役時代の私はずっと自分がトップで、人に合わせてもらって泳いできたタイプなので、自分のことで精一杯な上に、トップの人に合わせて泳ぐことができなかったんです。なので、人に合わせるとか、人のために役に立つということをもっとできる人間になりたいというのが第二の人生の中での自分の課題だった
小谷実可子
自分というものに学校というものは一切存在理由がなかった。自分にとって図書館と古本屋さんさえあれば、それで十分であった
司馬遼太郎
将来のことを考えていると憂鬱になったので、そんなことはやめてマーマレードを作ることにした。オレンジを刻んだり、床を磨いたりするうちに、気分が明るくなっていくのには全くびっくりする
ナイチンゲール
この1年は大学卒業を目標に頑張ってきた。一緒にごはんを食べ、スケートとは違った普通の話ができる友達もできた
浅田真央
僕らの世界は先輩、後輩いう大部屋社会が残るでしょ。せやから自然と敬語が身についた部分あるんです。後輩で先輩に対する言葉使いの悪い奴がいてると、ものすごく気になる
明石家さんま
事業を始めるとき、金儲けをしようという気持ちはなかった。何か世の中を明るくする仕事は無いかと、そればかり考えていた。即席めんの発想にたどり着くには、48年間の人生が必要だった
安藤百福
(大学の卒業旅行時)ゴハンも食べずにずっとカジノのフロアーにいて。卒業旅行は数人で行きましたけど、みんなが観光している中、僕だけカジノとホテルの往復でした
のぶき
試合を振り返って、どこが痛かったからとか、あのとき、こうで、ああで、と言うのは聞いていてもカッコわるい。失点して、試合に負けたなら、ディフェンスとして仕事ができなかったのだから、メディアやサポーターにたたかれればいい
内田篤人
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