そのころは、どこへ行ってもそうであったろうが、近江の国でも百姓の方法は旧態依然たるものである。そこで私は子供ながらも大いに研究が必要だと思い、手当たり次第に農業に関する本を読みふけった
堤康次郎
敗戦直後の一瞬は、金持も貧乏人も差がなくて、全員が衣食住にこと欠く有様だった。また、遵法者も非遵法者も、つまり堅気もやくざもほとんど差がなく、ごちゃまぜに暮らしていた。ほんの一瞬だが、その一瞬のところで自分の人生設計を定めていかねばならなかったのが、花形であり、私どもだった
色川武大
概して、大名の子供は生まれたときから、平素安楽に育ち、難儀をしたことがないから、下々の者の苦労を知らない。それだから、人の使い方が荒く、下々の困っていることを悟らず、上一人のために万民を悩ますことが多い
黒田官兵衛
真の革新者たちが新しい世界を切り開き、開拓することができるのは、彼らが経験豊富であるからではなく、また常識があるからでもありません。それは彼らが本当に崇高な人間の本質を知っており、基本的な原理原則に基づいて判断を下すからなのです
稲盛和夫
我々一人ひとりの気が狂うことは稀である。しかし、集団・政党・国家・時代においては、日常茶 飯事なのだ
ニーチェ
自分というものに学校というものは一切存在理由がなかった。自分にとって図書館と古本屋さんさえあれば、それで十分であった
司馬遼太郎
(北里柴三郎について)不真面目や怠慢の時は仮借なく大声で叱責された。先生は沈思熟慮の後に一度決めた方針は如何なる障害に出会っても曲げないで猛進貫徹された
志賀潔
私が商人としての心構えを学んだのは、小さな洋品店を切り盛りしていた母親からでした。はっきりとした話とか文章で伝授されたものではなく、あくまで日常の会話の中とか、その背中を見ながら自然に学びとったものです
伊藤雅俊
若いのが作法を学ばないのは、手本になる大人がいないからだ。少なくとも男にとっての作法は、ある種の憧れだったり、「あのときのあの人は格好良かったな」という記憶だ
ビート たけし
とにかく、仕事で得た金はほとんど全部、旅の中で使い果たしていた。たとえ預金通帳に一銭も残らなくとも、自分のなかに何かが残ればいいと思っていた
安藤忠雄
時代の先を見越して新しいことを学んだ人だけが生き残れたし、その結果として豊かにもなった。時代を見据えて、自分に必要な知識を身につけていけばいくほど、単純に収入に結びつくというのは事実です
神田昌典
二本足で日本に来たが、杖をついて三本足で帰ることになるかも。それだけ多く足跡を残したということなら、私の財産はその杖だ
オシム
私の全生涯を通じて、公式の組み合わせや図表や経営理論によって自分の会社を経営しようとした最高経営者にはいまだかつて出会ったことがない。逆に、ハイスクールも出ず、経営理論など全然読んだことがないのに、私の見たところでは、自分の事業を運営する術を完ぺきに心得ている人々に大勢出会った
ハロルド・ジェニーン
私たちが会社を始めたとき、うちの会社をどうしてやっていくべきか、教えてくれた人は全然いなかった。私たち一人一人が毎日毎日、我々の会社をどうやっていくか、必死になって考えてきた。いまも私たちに、この会社の今後はこうあるべきだ、こういうものを作りなさいと教えてくれる人は誰もいない
盛田昭夫
大義のために人と絶交することになったとしても、その人の悪口を言うのは忍びないことである。やむを得ず国を去る事になったとしても自分は潔白だったというのは忍びないことである
吉田松陰
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