メンバーで一番個性のない人間だとずっと思ってた。でも、プラス思考で頑張っていたら、1997年は思いもよらず2回もドラマの主役をやれちゃったの。今は普通っぽいのが逆に個性だと思ってる
草彅剛
マンネリで大いに結構。ほかの人はマンネリまでいかないじゃないですか。定番があるのは全然恥ずかしいことじゃない。ドリフも僕のバカ殿も変なおじさんも、必死でネタ作って、とことん何年もやり続けてきたわけだから。みんなマンネリの域まで達してみろって
志村けん
例えばさ、10代の頃にできなかったからって、諦めなくていいと思う。20歳になった30歳になった40歳になった時に、「あっ、あの時、出来なかったことを、今なら出来る」っていう大人になっているかもしれないじゃないか。だから、もう1回でも、何回でもチャレンジできると思うぜ
甲本ヒロト
家の人には聴かせますけど。子供の頃からそうなんですね、身内には「もういい」っていうまで、やってみせるんです(笑)。『悲愴』の第二楽章もやさしいから、よく弾きます。歌うのも大好きです
坂東玉三郎
違いはやっぱり初優勝と、震災の後と、というようないろんな思いの中でここまでよく来たなと、本当に辛い時期をみんながぐっと我慢しながら少しずつ強くなってきたなと。とはいえ、私はまだ平幕優勝だと思っております。来年も再来年も一歩一歩前に進んでいきたいと選手も思っていると思います
星野仙一
ホノルルマラソンも走れってなった。今度は郷ひろみの記録、3時間38分を切ったらギャラ倍にしてやるって言われて。これも切ったよ。3時間13分57秒。それからや。気合い入れてやろかなあと思ったのは
間寛平
当時ひねくれていまして、不遜で、生意気で、世の中なめくさっていた。そのくせ何もやったことがなかった。それが亡くなった初代の横澤彪プロデューサーから(番組を)仰せつかりまして、大体3ヶ月くらいか半年くらいで終わると思っていたら、32年も続きまして(笑っていいともグランドフィナーレより)
タモリ
『棚橋もの足りねぇ』みたいなこと言ってたみたいだけど、俺と闘った人間にガッカリしてほしくないんですよ。言っとくけど俺の魅力は底なしの無限大。それに1日でもあれば光の速さで成長しますから
棚橋弘至
生きる事に理由をつけるのは構わない。あそこの蕎麦が食いたいとか、来週のドラマの続きを見たいとか でも、死ぬことに理由をつけちゃいけねぇんだ
ビートたけし
(幸野双葉の役どころは大変だった?)そうですね。ガンという病気で余命を宣告される役だったので、いくらお芝居とか言え、何か気が滅入るというか、やっぱり終わった後、ぐったりはしてましたねぇ、精神的に
宮沢りえ(女優)
(過去の出演作への考えについて)もう終わったことって感覚 かな。ダメならダメ良ければ良い。そこで一喜一憂しない
樹木希林
3・8年回に1回くらい、異質な体験をしていることがわかったんです。要するに3、4年に一回、もう満足しちゃったからつまんない、何かを変えよう、次に何かないかと、印象深い出来事を起こしているんですね。それは外から見れば、たいてい挫折体験だったりもするんですけど(笑)。でも、それを挫折と見るか、次を切り開いたきっかけと見るかは、僕自身ですから
出井伸之
オレは芸能界に入る前に5つの夢があったんですよ。『ヤングおーおー!』に出る『ヤングタウン』やる『オー ルナイトニッポン』やる堺正章さん、大原麗子さんとドラマ共演するというのが夢だったこれを25の時に早々と全部叶えたんですよ
明石家さんま
職場に好きな人を一人作ると。仕事行くのが凄く楽しくなるんよね。別に、その人とそういう関係になろうとかはこれっぽっちも・・・・思ってるんだけど
酒とか飲んでたまに昔の話することもあるけど、私は昔はこうだったなんて誇りに思わないね。だって今のほうがいいに決まってるもん。昔のほうが良かった人は悲しいよね。そういう人は昔を忘れなきゃ。それが嫌ならもう死んじゃえばい いんだもん
所ジョージ
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