偉人の名言集
男の不幸は、馬を得るか得ぬかにある
坂本龍馬
古来、英雄豪傑とは、老獪と純情の使いわけのうまい男をいうのだ
先人の真似ごとはくだらぬ
生きるも死ぬも物の一表現に過ぎぬ。いちいちかかずらわって おれるものか。人間、事を成すか成さぬかだけを考えておればよい
自分の防衛に汲々としているようなことでは大事が成せるか
人の運命は、九割は自分の不明による罪だ
男はどんなくだらぬ事ででも死ねるぞという自信があってこそ、大事を成し遂げられるものだ
男は喧嘩をするときには断乎喧嘩をするという大勇猛心をもっておらねば、いかに各論卓説を口にしていても、ひとは小才子としか見てくれぬぞ
人の世に失敗ちゅうことは、ありゃせんぞ
人間、不人気では何も出来ませんな。いかに正義を行なおうと、ことごとく悪意にとられ、ついには自ら事を捨てざる をえなくなります
志さえ持てば、前身がなんであろうとかまわぬことだ
道は長い。けいこつに果てるな。事にやぶれれば腹なんぞ切らずに命のつづくかぎり駆けて戻って来い
今は力を培養するときだ。その時機を辛抱できぬのは男ではない
慎重もええが思いきったところがなきゃいかん。慎重は下僚の美徳じゃ。大胆は大将の美徳じゃ。将か士かは人のうまれつきで決まるものだがお前は大将修行をやれ
世に生きものというのは人間も犬も虫もみな同じ衆生で上下などはない
見まわしたところ、それぞれ優れた面魂の男ばかりだ。一片の侠気義心のために死をも辞せぬのが諸君であろう。しかし、それは所詮はおのれ範囲を出ぬ。心を変えろ、心を。日本を背負う気になってみろ。その気になって背負えば日本などは軽いものだ。いやそれがむしろ悲しい。病み呆けた老婆よりも軽い
わずかに他人より優れているというだけの知恵や知識が、この時勢に何になるか。そういう頼りにならぬものにうぬぼれるだけで、それだけで歴然たる敗北者だ
人の一生というのは、たかが五十年そこそこである。いったん志を抱けば、この志に向かって事が進歩するような手段のみをとり、いやしくも弱気を発してはいけない。たとえ、その目的が成就できなくてもその目的への道中で死ぬべきだ。生死は自然現象だから、これを計算に入れてはいけない『竜馬がゆく』、坂本龍馬のセリフ(作:司馬遼太郎)
人生は一場の芝居だというが芝居と違う点が大きくある。芝居の役者の場合は舞台は他人が作ってくれる。なまの人生は自分 で自分のがらに適う舞台をこつこつ作って、そのうえで芝居をするのだ。他人が舞台を作ってくれやせぬ
偏見を持つな。相手が幕臣であろうと乞食であろうと教えを受けるべき人間なら俺は受けるわい
俺は着実に物事を一つずつ築きあげてゆく。現実に合わぬことはやらぬ
人おのおのが志を遂げられる世の中にしたいものだなぁ
他人の命は他人様それぞれの料簡で始末すればいいが、俺の命は俺の一存で成改できる
一生に一度ぐらい手品もいいだろうが、物事にゃ実がなくちゃ人はついてこない
万事、見にゃわからん
意味さえわかれば、よいではないか
夢中で日を過ごしておれば、いつかはわかる時が来る
英雄とは自分だけの道を歩く奴のことだ
世の中の人は何とも言わば言え、我がなすことは我のみぞ知る
財政の独立なくては、思想の独立もなく行動の自由もない
おのおの、その志のままに生きよ
人の世に道は一つということはない。道は百も千も万もある
逃げ路があるかないかということは天が考えることだ。おれたちは、とにかく逃げることだけに専念すればいい
業なかばで倒れてもよい。そのときは、目標の方角にむかい、その姿勢で倒れよ
そのことは我が胸に成算がある。やろうと思えば世に出来ぬことはない
地球を動かしているのは、思想ではなく経済だ
当時二ても土佐国ハ幕の約にハ立不甲(たちもうさず)位の所ハ相はこび申し候。今年七八月にも相成候へバ、ことにより昔の長薩土と相成可甲(あいなりもうすべし)と相楽ミ居甲候
とんとんと登る梯子(はしご)の真中程で 国を去って薩摩同志 楼に上がる貧乏の春 辛抱しゃんせと目に涙
以上八策は、方今天下の形勢を察し、之を宇内(うだい)万国に徴するに、之を捨てて他に済時の急務あるべし。苟(いやしく)も此数策を断行せば、皇運を挽回し、国勢を拡張し、万国と並立するも亦敢て難(かた)しとせず。伏(ふし)て願(ねがは)くは公明正大の道理に基(もとづ)き、一大英断を以て天下と更始一新せん
私ももしも死ななんだりや、四五年のうちにハかへるかも、梅雨の命ハはかられず
ご相談被遣(つかわされ)候建白之儀、万一行ハレザレバ固(もと)より必死の御覚悟故、ご浄化白無之(これなき)時は、海援隊一手を以て大樹参内の道路ニ待受
丸くとも一かどあれや人心 あまりまろきは ころびやすきぞ
此頃ハ天下無二の軍学者勝麟太郎という大先生に門人となり、ことの外かわいがられ候て、先きゃくぶんのようなものになり・・・すこしエヘンにかおしてひそか におり申候。達人の見るまなこはおそろしきものとや、つれづれにもこれあり。猶エヘンエヘン、かしこ
日本を今一度せんたくいたし申候
世の人は我を何とも言わば言え 我が成す事は我のみぞ知る
我々の周りにある偉大なことの中でも、無の存在が最も素晴らしい。その基本は時間的には過去と未来の間にあり、現在の何ものをも所有しないというところにある
レオナルドダヴィンチ
最も高貴な娯楽は理解する喜びである
川の中ではあなたが触る水が一番最後に過ぎ去ったものであり、また、一番最初に来るものである。現在という時も同じである
悪を罰しない者は、悪を為せと命じているのだ
充実した一日が幸せな眠りをもたらすように、充実した一生は幸福な死をもたらす
必要であればあるほど拒まれるものがある。それは忠告だ。それを余計に必要とする人、すなわち無智な人々から嫌がられる
自然は自己の法則を破らない
理解するための最良の手段は、自然の無限の作品をたっぷり鑑賞することだ
孤独であることは救われることである
十分に終わりのことを考えよ。まず最初に終わりを考慮せよ
時々、機会を見つけて外出しなさい。そしてリラックスしよう。外から帰ってくると、あなたの判断はより確かなものになります。いつも仕事に向き合っていると、あなたは判断力を失ってしまいます
大いなる苦悩なくしては、如何なる完成も才能もあり得ない
鉄は使わなければ錆びる。水は澱んでいれば濁り、寒空には凍ってしまう。ましてや怠惰でいれば気力さえも失われる
優れた画家は二つのものを描く。人と人の心の動きである
画家の心は鏡に似ることを願わねばならぬ。鏡は常に自分が対象として持つものの色に変わり、自分の前に置かれるものそのままの映像によって自己を満たすものである
本当に物事が分かっている人は、大声を出さない
ちっぽけな確実さは大きな嘘に勝る
食欲がないのに食べても健康に悪いように、やる気がないのに勉強しても記憶力が損なわれ、記憶したことは保存されない
人物を描く人は、もし彼が対象になり切ることができないなら、これを創り得ないであろう
私は決して障害に屈しはしない。いかなる障害も私の中に強い決意を生み出すまでだ
苦労せざるものは幸運に値せず
快楽の後ろには面倒と悔恨をもたらすものがついている
怖がれば怖がるほど、逃げれば逃げるほど、近くに寄ってくるものがある。それは貧窮だ
目は魂の窓である
私の仕事は、他人の言葉よりも自分の経験から引き出される。経験こそ立派な先生だ
人間はやり通す力が、あるかないかによってのみ、称賛または非難に値する
あらゆるものは、他のあらゆるものと関連する
画家は孤独でなければならない。なぜなら、一人なら完全に自分自身になることができるからだ
五感は魂に仕える従僕だ
知恵は経験の娘である
猫科の一番小さな動物、つまり猫は、最高傑作である
知ることが少なければ愛することも少ない
我々には自然の形態がたくさん与えられているのだから、直接自然に触れることが大事だ
何かを主張をするのに権威を持ち出す人は全て、知性を使っているのではなく、ただ記憶力を使っているだけである
シンプルさは究極の洗練である
常に恐れつつ進まぬ者は数々の侮辱に遭い、後悔することになる
自分の判断以上に自分を欺くものはない
そ の理論が経験によって確証されない、あの思索家たちの教訓を避けよ
私を軽蔑するな、私は貧乏ではないからな、やたらに沢山のものを欲しがる者こそ貧乏なのだ
脅しとはひとえに脅えた者の 武器に過ぎない
このところずっと、私は生き方を学んでいるつもりだったが、最初からずっと死に方を学んでいたのだ
芸術に決して完成ということはない。途中で見切りをつけたものがあるだけだ
美しいものと醜いものは共にあると互いに引き立て合う
詩人は目に見える表現の中では画家よりはるか下に見られ、目に見えぬ表現の中では音楽家よりもはるか下に見られる
解剖して分かったことだが、人間は死ぬように出来ているのだ
誰も他人のやり方を真似すべきではない。なぜなら、真似をすれば自然の子どもではなく、自然の孫でしかない
失われうるものを富と呼んではならない。徳こそ本当の我々の財産で、それを所有する人の本当のご褒美なのである
顔に人間の性格、人間の癖や性質を部分的に示す特徴が見られるというのは真実である
その手に魂が込められなければ、芸術は生まれない
どこか遠くへ行きなさい。仕事が小さく見えてきて、もっと全体がよく眺められるようになります
人に貴賤はないが勉強したかしないかの差は大きい
福沢諭吉
独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は、必ず人を恐る、人を恐るる者は、必ず人にへつらうものなり。
ひとこと忠告したい。後進の青年諸君。もし他人の仕事に不満だったら、自分でその仕事を試みてみたまえ。他人の商売のやり方がまずいと思ったら、自分でその商売をやってみたまえ。隣家の生活がずさんに思えたら、自分の家で試してみたまえ。
顔色や容貌を、いきいきと明るく見せることは、人間としての基本的なモラルである。 なぜなら人の顔色は、家の門口のようなものだからである。広く人と交際して、自由に付き合うには、門をひらき入口を清潔にし、客が入りやすくすることが大事である。
古典の「古事記」を暗記していても、こんにちの米の値段を知らないのでは、日常生活の知識すらない男というほかない。中国の古典の奥義をきわめても、商売のやり方を知らず、取引ひとつできぬようでは、収支の知識の問屋にすぎない。
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