(プロ棋士になって1、2年後にプロの意味が分かってきた当時を振り返って)プロの自覚と勝負の厳しさを体験することによって、本当の意味でプロ棋士になれたのかな、と思っています
谷川浩司
学校にいる時の“一般人・小川幹弘”の感性も持っていて、でも、“歌舞伎”で街にいる若者を振り向かせられるような存在に、自分がなれたらいいな、と思ったし、そういう存在であり続けないといけないと思っています
中村獅童
結果を求められるのはアスリートとして当たり前かもしれないけど、何より「無事に帰って来てね」と言われたのは嬉しくて泣きそうになりました
池江璃花子
身体の大きさで負けてもテクニックや精神力で勝負できると思っています
海外で「挑戦」しているという感覚はほとんどなくなりましたが、自分が「外国人」だということ、「結果を出す」ことというのは、常に頭の片隅にあります
永里優季
(引退スピーチ)ケガとか苦しい時とか色々あると思いますけど、きっと時間が経ったらテニスというスポーツい出会えたことをすごく幸せに思える時も必ず来ます
伊達公子
自分のためではなく、人のために生涯を過ごすことがやはり日本人の幸せであるし、そこに一貫性を持つことは相撲界が公益性をもって生き残るうえでも大事だと思っています
貴乃花
(自身の仕事について)決して役者は適職ではないと思っています
樹木希林
(談志さんになれないことが)無理だと分かったら気が楽になりました
立川志らく
(日本人初のプロ車いすテニスプレーヤーになったことについて)なんでも挑戦してみようというよりは、後に続く人の目標をつくりたいという想いが強かったですね
国枝慎吾
これで弱い名人から並みの名人になれたと思います
日常でもいろいろ研究している時は凄く楽しいですし、対局という場で、その研究成果を試す時というのは、多くの棋士にとって心躍る瞬間だと思います
私が将棋を始めたのは5歳の頃で、その時から将棋漬けの人生が始まるんですけれど、やっぱりそれとは別に、当時はやっていた「インベーダーゲーム」とかには衝撃を受けましたよね
絶頂とどん底を味わっていい勉強をさせてもらったと思います
森脇健児
(これまでの人生について)負けを濁して、とりあえずまあ生きているって感じです
山田ルイ53世
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