女優の名言集
自分の人生を全部、計算っていうとすごくいやらしいけれども、確かに見ていくと楽しんでいるという感じするね、悲劇も喜劇も
樹木希林
私の事を怖いという人いるみたいだけど、それは私に欲というものがないからでしょう。欲や執着があると、それが弱みになって人がつけこみやすくなる。そうじゃない人間だから怖いと思われてしまう
私はね、元に戻らないの、やり直しってのをしないの、失敗したらね、そこからスタートなの
癌になって整理を始めました。撮影が終わると台本は処分して、衣類や食器を1日1点は捨てるようにしています
バアさんが世の中で一番強い
後期高齢者でございます。もうこの言葉が好きなの
人間はあした地球が滅ぶって分かっていても、今日リンゴの木を植えなきゃならないものよ
(癌を患って)闘病しているという気持ちは全然なか ったわね
(幼少期)他人と比較して卑屈になるようなことはなかった
(女性が老けるのはどんな時?)そりゃなんたって男の苦労が一番老けましょう。金の苦労なぞ、たかが知れてますよ
(子どものやることについて)全く干渉しません
(幼少期、どんなもので遊んでた?)部屋の隅に囲いを作って、お膳を立て紙人形を並べて遊んでいました。友達がいなかった
当時はね、役者の格として、とにもかくにも演劇が一番だったんです
父は粗大ゴミみたいな人で、朝起きると顔も洗わないで一服した後、琵琶を弾くんですね。母はよく働く人
(幼少期の将来の夢は?)何にも、そんなこと考えませんでした
自分の姿を俯瞰で見ているっていうのは、吹き出しちゃう
何度おばあさん役が来ても、飽きずに演ってるの
映画の中に、もっとムダとも思えるようなシーンがあるといいと思うの
昔はたとえチョイ役で出た作品だったとしても、的外れな評価をされれば、その人の首根っこ掴んで「この映画はこういうことなんだよ!」って言わずにいられない性分でした
とにかくテレビのホームドラマが一番面白いね。手応えがビンビンあるもの
「寺内貫太郎一家」は役者の選び方が目茶苦茶だったですね(笑)
私は18歳の時、行くところがなくて文学座(劇団)に入ったの
私の原点は。~中略~ テレビドラマを通しての森繁さんだった
私は実人生では一度も男の人に捨てられた実感がないんですよ(笑)
(幼少期、お小遣いはもらった?)お小遣いはもらいました。駄菓子屋に行って使いました。それから家のお金を盗んだ事もあります
私がなぜ旦那と別れないかと言うてね、十分に旦那がお飾りであるからなんですよ(笑)
腹黒いという言葉がありますが、私の独断と偏見でいえば、多分腸の悪い人のことを言うんだろうと思います
森繁さんは撮影しながら、その場で瞬時に「人間」を作って行くんです
うちの旦那、明治の男みたいなところあるのね。すごい封建的なの
少しずつ変化していきたい
八千草薫
与えられたものを楽しくやって行こう
(名誉都民に選ばれて)とても私には立派過ぎる気が致しました
ちょっとだけ無理をして生きたい
ごまかしてそのまま先に進んでも、何か居心地が悪い
病気をしたことで、自分の『死』が近づいたことを感じました
(膵臓ガンになったことについて)もっと若かったら、ショックも大きかったと思うんですけれど、病気は病気で、まぁしょうがない
時間というのは、人間にも動物にも植物にも平等に与えられるものです。死も一緒です
家族っていうのが、一番人間にとってホッとするところ
(膵臓ガンになり)『まぁ、いいか』『まぁ、しょうがないな』と受け入れてやっていくより他ない
くよくよ悩んだからといって病気は治りません
年をとっていくと、それまで普通にできたことができなくなったり、少し怠けただけで体力や筋力が落ちたり。私もそういう自分が悔しいなぁと思ったり
この先そんなに長く生きる年齢ではない。寿命がすぐそこに見えているという事実が、私を冷静にさせました
(ガンと診断された時)『あ、とうとう来たんだ』という感覚でした
抗がん剤も強いものを使わずに、転移が分かる前と同じ薬で、身体に負担をあまりかけないで緩やかに治療していこうということで…
セリフを覚えるのも、公園で周りに人がいないなと思うと、けっこう大きな声を出している
犬と猫だけど仲よく、私のことを玄関で待ってくれています。それだけで、とても幸せ
今を大事に
楽しくやればいいことになる
いつも楽しくがモットー
色んな作品に恵まれた
今が気持ち良く過ごせれば、それで一歩ずつ歩いて行けばいいかな
過去の事も将来の事もあんまり考えない
(宝塚に入った当初)何か間違っちゃったなと思った
(菅田将暉さんに対して)こんなに役のことを相談できる人はいない。いつも一生懸命聞いてくれて100倍にして返してくれる。でもライバルみたいに刺激にもなる。人に対する優しさ、周りが見えるところも素晴らしい。私もこうありたいと思える存在
小松菜奈
海外のホラー映画が好き
(芸能界入りのきっかけは?)12歳の時に原宿の竹下通りのダイソー前でスカウトされました
(役作りで)減量すると身体だけでなく心まで細くなっていく
心を閉ざして避けてしまうことも背を向けることも、簡単なことだけど、相手に寄り添う、聞く、自分の気持ちも伝えるということをしていかないと、相手の心には近づけないのかなって
私は好奇心や向上心を大事にしています
(最初はモデルさんから始めて)習い事に行ってる感覚
プライベートでも、感謝の気持ちを表すっていうことを怠らずに、ちゃんと伝えていきたい
映画は、今がどんな時代だったかっていうことを残せる存在
私はひとりで舞台を観に行くのが好き
舞台って生だから、役者さんの感情や緊張感、声の震えをダイレクトに受け取ることで、観ている側も熱くなれる瞬間がある
みんなが楽しいと思える時間を作りたい
(芸能界に入ってなければ)何 となく美容師さんになりたいなって
役者の仕事をやっていて思うのは共演者の方やスタッフさんたちが、全員同じ面子で再び揃うということは二度とないということ。そう考えると本当にいま、この年齢で出会うべくして出会えた人たちだったんだなとすごく思います
家族と一緒にいる時間や、自分の周りにいる人を、もっと大事にしたい
役として、本当に泣きたい気持ちにならないと無理なんです
いつ誰が、どのタイミングで会えなくなっちゃうのか分からない
好きな人をムダに触っちゃうって、すごく自然なこと
歳を重ねていくこともそうだし、コロナ禍もそうだし、生と死がより身近になっていくというのは、この2年ですごく感じました
やっぱり映画の現場が一番好き
小説を映像化する作品のときはどちらかというと自由に表現するようにしている
(映画『糸』での菅田将暉さんとの共演について)共演3度目なので、何が起こっても大丈夫という安心感がありました。どんな役でも、お互いにちゃんと役になりきって芝居ができるし、役に入るスイッチの入れ方やタイミングなども、よく分かるんです
サプライズも好きだし、人が喜ぶのを見るのが嬉しい
やっぱり「役」ってすごく不思議だなと感じました。演じている時期はそれに没頭しているのに、やっぱり離れないといけないし、背負いこんじゃいけない
(映画『ムーンライト・シャドウ』でさつきを演じてみて感じたこと)自分にとっての大切な人、家族だったり周りの友達だったり、いつも近くで支えてくれている人の存在のありがたさ
時間が経つにつれて、大切な時間を少しずつ忘れていってしまうような感覚。言葉や表現の深さみたいなものを感じました
誰かといると明るくしようと思うけど、一人になった時に落ち込んで暗くなるのはやっぱりリアルな感情
一瞬一瞬の時間も無駄ではないし、後悔なく生きなきゃ
1回とりあえずやってみよう
思ったことを言いたいタイプ
一人一人、人生は荒波の時もあれば、すごく穏やかな波の時もあると思います
人に何かをしてもらうよりも、自分がしたいタイプ
(役作りの為に)減量していると集中力が本当になくなってしまって。そうすると感情が一気に出なくなっちゃう
(小学生の頃)外で遊ぶことが多くて、お兄ちゃんと虫取り行ったり
(旅行経験について)19歳の時に、初めてオーストラリアに一人で。ホテルも決めずに
(幼少期)兄妹喧嘩すごかった
食べることは大好きです。人をハッピーにしてくれますよね
人間にとって食べることは生きること、生きることは食べること