女優の名言集
女が台となって「始」って漢字になる。全ての始まりの土台を作るのが女
樹木希林
年を取ったら、みんなもっと楽に生きたらいいんじゃないですか
さて人間としてどう終了するか
自由に生きていいのに自分で生きにくくしている
(欠点は)あって当たり前
(若い頃の自分自身は)本当に偉そうだった
男にとって女というのは、なんかとっても必要ないもの、絶対にいなくちゃいけないような気がするけれども、女から見て男は、それほどでもなくなってる人があちこちにいる(笑)
幸せというのは、常にあるものではなくて、自分で見つけるもの
私は全てのものに対して、絶対こうでなければいけないという鉄則はないと思ってる
何でもない日常や、とるに足らないように思える人生も面白がってみる
抱えられるものには限界があって、それ以上、抱えようとしても抱えきれない
楽しむのではなく面白がることよ
謝るならちゃんと謝る。謝らないなら謝らない
真実を見極めるんですよ。本物を見つけるんです。自分の中に常に「本物を見たいな」という思いさえあれば、例えば病院だって、あるいは出会いだって本物に出会える
これだけ長くガンと付き合ってるとね「いつかは死ぬ」じゃなくて、「いつでも死ぬ」という感覚
もっと人間はこう、自然の中で、あっという間に死ぬかもしれない
(ガン告白後)女優業に執着も未練もありません
子ども産んで、女優がつまんなくなるんだとしたら、私には最初から、その程度の才能しかなかったんだろうと思ってる
ガンになるからにはガンになるだけの生活があってね、その資質が私にはあったのよ
何で夫と別れないのとよく聞かれますが、夫が私にとっては有り難い存在だからなんですよ
己の汚れ、他人の汚れに涙を流し、その汚れの荷をおろすべく、その七転八倒は必ず世を動かし、人を動かす
私は年を取る事に対して、一切ストップかける気持ちがない。だから私は「老いる」ということに対して、恐怖もなければ、嫌だなぁという嫌悪感もない
人間としての尊厳をきちっと保って映画を作るというのは、非常に大事
私は全然、いい人じゃないのよ。すごいひねくれててね、人をこうやって「斜めから)見る人間
人の人生に、人の命にどれだけ自分が多く添えるか
自分の好きなことやって生きていられるというのは、大変な感謝のこと
私は人のこと嫌いなんです。煩わしいから。だから友達もいない
基本は ね、皆さんが先生。世の中にいる人間、皆さんが先生
不安定さからくる「かわゆさ」も、身軽さからくる悲しさも、不自然さからくる迫力もみんな、女優としての魅力になる
私、役を選ばないのよ。何でも演っちゃうの
不自然な姿をした人間を見るのが嫌
私は私の中の「悪」というものはあって当たり前だと思っている
上昇志向が全くないんです、私の場合
人間は自分の不自由さに仕えていくの
父親にとても尊厳を求めるんですね。父親は正しくあって欲しいという。そう思いたいところがある
(離婚を拒否したのは、それを上回る大きな愛かという質問への答え)愛というより、私には内田さんが必要だったということですね。ただ向うは迷惑だっただろうなというのはよく分かる。今は『どうもありがとうね。大変だったわね』と言うと、『そんなことネェー』と言いますがね(笑)。来世で出会わないために、今完璧に付き合っているのよ
裕也さんが人の事をどうこういうのを聞いたことがない。そこが好き。男はそれでなくちゃね
(過去の出演作への考えについて)もう終わったことって感覚かな。ダメならダメ良ければ良い。そこで一喜一憂しない
人がやらない役をやらしていただいてるから、食いっぱぐれがない
人を蹴落としてまで生き残りたいとか、そういうエネルギーはない
生きるのに精一杯という人が、だいたい見事な人生送りますね
(内田裕也さんと)最近は必要な時はファックスで連絡を取り合ってる
癌っていうのは凄く有難い
私が男に尽くすというのは、こうしてあげるとか、そういうことじゃなくて、私が私として生き生きと存在しようとしていれば、それは尽くすということになるんだというのが私の考え
女が徳のある、いいシワのある顔相になる為には、本当にとことん自分のエネルギーを使い果たさないと
私が私がという。世の中が「私が」を主張するようになってきたという事は、そういう事をしないと自分がいることが確かめられないという心もとなさなのかなと思う
人はいつか死ぬんじゃなくて、いつでも死ぬ
大して美しくないことでも思いがけず美化されたり、大して醜くなくても、目を覆いたくなるほど、酷く写ることもあります
苦しそうに見えない人にも別の苦しみがある
私は人に物を送ってこないでって言う
私にとっての家族への愛情は「注がなきゃいけないな」っていう義務感とか倫理観からきているもの
人間は50代くらいから踏み迷う時期になるでしょ
(夫婦は)向き合うから欠点が全部見えてくる
モノには表と裏があって、どんなに不幸なものに出会っても、どこかに灯りが見えるものだという風に思ってるの
仕事をする為に生きてるわけではない
あんまり頑張らないで、でもへこたれないで
人としてどう生きるか
私の中に愚痴って言葉がないのよ
お金や地位や名声もなくて、傍からは地味でつまらない人生に見えたとしても、本人が本当に好きな事ができていて「あぁ、幸せだなぁ」と思っていれば、その人の人生はキラキラ輝いています
人間って存在そのものが滑稽
好きな事をやりたいのなら、まずは自分の性格を俯瞰してみて、自分がどういう人間かを承知して手を打っておかないと
私は人間でも、ダメになった人が好き
私もドジでトンマでも役者一筋に生きていきたいわよ
(裕也さんは)ヨリを戻す為に駆け引きするような男じゃない
内田さんとは一緒の方向を見ていると感じることができるの。ゲリラ的な、モノを破壊したくなるという気持ちを共有できる、同士みたいなもの
夫(裕也)は実に優しい人でした。元々人はいいんですが社会生活に馴染めない、破壊的なところもある
結婚すれば苦労もする、嫌な思いもする。夫婦や親子という人間関係に深く踏み込んでいかなければならなくなる。それは人間が成熟するのに必要なことなんじゃないかって、ある時期まで思っていました。でも今はね、無理にしなくてもいいんじゃないかって
お金ってある程度手にしちゃうと家買って、車買って、生活がそこそこ楽になると、その後の使いようがないんだよね
私は小さい時、自閉傾向の強い子どもでね、じっと人の事を観察してた
私はいい加減な人間ですけどね、すぐに謝らないんですよ
今、誰かを排除しようという風潮が強いとしたら、その人たちの不満が言わせているのよ
全て期待というのは自分側から見た「こうあって欲しい」でしょ?
私にとっては反抗のしようのない父親だ った。その分、世に出てから反抗したように思います
(子育てについて)ああするべきだ、こうしゃいけない、ああしちゃいけないというものの中からは人は育たない気がする
家は女がしっかりしないとダメ。カカア天下くらいでちょうどいい
私は死ぬ時、夫が「おう、大丈夫か」と言ったら「まぁご親切に。おたく、どちらさま?」って、これだけは言ってやりたいと思って(笑)
(映画、万引き家族について)人間が老いていく、壊れていく姿というものも見せたかった
子どもは甘やかして育ててはいけない
しっかり生きて、しっかり死にたい
(ガンになった時)まずはどうあれ夫に謝ってしまおうと思ったんです。まず謝罪というのをしておかないと死ぬないと思った
私よりも内田さんの方が優しいと思いますよ
私だって(夫に)恥をかかされたという想いも無きにしもあらずなんです(笑)
私は今、あの主人(内田裕也さん)に出会ったことは、私の人生の中で大変な宝です
自分がやったことに最後まで責任を持て
(夫婦について)最近は年とってきてエネルギーがなくなったからケンカしなくなっただけ。「この野郎!」となっても、杖はどこいった?じゃどうしようもない。そのうちに面倒臭いかぁで終わり
私は女優デビューした時が一番偉そうだった
自分の存在を消すということを、やっぱり子どもの頃に会得していた
みんなを驚かせるのが私たちの目的だからね、芸能界にいるってことはそういうことだと思う
富というものにも限度があります。たまたま富んでいる人は富の限界を知らないから、もっともっとと思うだけで人間が一人生きていって死ぬまでに使うお金なんて、たかが知れていますから、そんなものは追い求めません
死というものを日常にしてあげたいなと。子どもたちに孫たちに。そうすれば怖く無くなる、そうすれば人を大事にする
(自身の仕事について)決して役者は適職ではないと思っています
老いてくると若い頃に出来たことが少しずつできなくなってくる
お経は今でも、気がつくと声に出して読んでいる
洋服は自分で買ったものはほとんどなくて、どなたからお古を譲って頂いて、それを着やすいように自分で胸ポケットをつけてみたり、ちょっとリメイクして着ています
キレイなんて一過性のもの
人間に対しては絶対的に信用してない
年を取ったからって成熟していく人ばかりじゃないと思うわけですよ。その成熟しない部分があったほうが、かえって可愛らしいと…
(癌という病を)色んな意味で有効に使ってるのよ。何かを断る時には「ガンが大変なの」とさえ言えば、「あっそうですね」となるし
一人でいても二人でいても、十人でいても寂しいものは寂しい
自分が素敵になれば、それに見合った出会いも訪れる
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