落語家の名言集
結婚とは永久売春契約である
立川談志
(弟子全員に入門前に語っていた言葉)修業とは矛盾に耐えることだ
馬鹿とは状況判断のできない奴のことをいう
煙草をやめるなんてのは、意志の弱い奴がすることです
(学問とは何かについて)貧乏人の暇つぶし
(がんを公表した「ひとり会」の高座での言葉)おれが死んだら、喜ぶやつがいっぱいいる
人間は自分を安心させるためにいろんなところに帰属するし、他人を見る時どこかに帰属させることで安心します
死とは個の消えることへの恐怖
なにしろ老いの初心者だから
小言というのは、己の『不快感の瞬間的発散』であって、『教育』とは違う
快適さを精神において追求するのが文化で、物質に頼って求めるのが文明である
努力して良くなるなら、世の中みんな良くなってるはずですよ
落語は人間の小ささを大切にする。始末の悪さ、愚かさをそのまま語る。こういう人間の業(ごう)を肯定してしまう ところに、落語の物凄さがある
何もわからないんだから。3年先輩の横山ノックのとこに相談に行った。『夜も寝ないで勉強した』と言ってたね。(ノック氏は)勉強したことはしたけど、わかったか、わかってなかったは知らないよ
上品=欲望にたいして動作がスローモーな奴
人間関係は良い誤解か、悪い誤解
落語は忠臣蔵の(討入りした)四十七士じゃなく、逃げちゃった残りの赤穂藩士二百五十三人が、どう生きるかを描くもんだ
賢い奴は何も言わなくても解ってる。馬鹿は言っても解らない
己に自信の無い奴が常識に従う
天狗になるくらいでなきゃあ駄目じゃないかと思ったね。青臭いかもしれないけど、天狗になってるときの芸は威勢がいいんですよ
鳥もちとへ理屈は、どこにでもひっつく
イイ奴とは自分に都合のいい奴である
(1971年、参院選で最後の議席で初当選した時の言葉)勝負はこうでなくちゃ面白くねえ。長かったなあ。さあこい、これからが男のスタートだ
文化レベルの低い所ほどこういう立派な会館建てるんだよな
よく「芸を盗む」とかいうが、あれは嘘だ。盗む方にもキャリアが必要だ。時間がかかるんだ。教える方に論理力がないから、そういういいかげんなことを言うんだ
酒は人間を悪くするものではなく、人間がいかにダメなものかを教えてくれるものである
勝手に生きよう
人間という不完全な生物が生まれ、知恵を持っていたから火をおこし、雨風を防ぎ、絶滅せずにきた。そのうち好奇心が芽生え、いい好奇心を文明と呼び、悪い好奇心を犯罪と呼んだ。いいも悪いもそれが人間の業じゃねえか、しょうがねえじゃないと肯定してくれる非常識な空間が悪所といわれる寄席であった
「怒りとは共同価値観の崩壊」 怒りは、相手の寛容さに対する誤認
癌は未練の整理にいい
このまま行くと落語が能や狂言と同じ道を辿るのは確かなようである
幸運な人生の人には敗者、弱者の心情はわからない
考え抜いてやることを悪知というんだ...そして感じたものをそのまま実行するのを英知という
死刑廃止論者から殺せ
がんはそんなばかなやつじゃないと思うんだけどな。俺が死ねば自分たち(がん 細胞)も死んじゃうんだから
いろんなことをやっているのはすべて寄席に客を呼ぶためだ
馬鹿はとなりの火事より怖い
冒険家、危険にたいして判断がにぶい奴
尊敬されて、仕事があって、発想も、状況を把握できる頭脳もまだある。それを幸せと言わずして何というか
(ー99年、居眠り客に怒り談志氏が落語を中断、主催者に退 場させられた客が訴えた損害賠償請求が棄却された時の言葉)居眠りだけでなく、その前に雑談などもあって切れた。客と芸人の空間を理解してくれた裁判官に敬意を表したい
努力とは、馬鹿に与えた夢である
家に帰って立川談志という人に叱られたと親に言え!でも、まあ、てめえみたいなバカの親だから知らねえかもな
よく覚えとけ。現実は正解なんだ。時代が悪いの、世の中がおかしいといったところで仕方ない。現実は事実だ。そして現状を理解、分析してみろ。そこにはきっと、何故そうなったかという原因があるんだ。現状を認識して把握したら処理すりゃいいんだ。その行動を起こせない奴を俺の基準で馬鹿という
夫婦はエゴイズムのバランスが取れてれば最良
落語とは人間の業の肯定
俺は馬鹿に嫌われるのが得意だ
「執着」「執念」というのが、「好きの虫」のすんでるところです
(高座50周年の記念パーティーでの言葉)成り行きで来ちゃった。あっという間だったけど、感慨があるかと問われれば、ないっ
就職なんて心配するな。落語家になってしまえ
学問の量にしがみつくな
何の職業でもいいのだけれど、そうなれる資格、レベルに自分をもっていく道筋がどうもあやふや。好きなことをやり、それで食えるようになりたい、だからそこに向かって賢明になるはずが、現代はアルバイトで食えてしまう。それは楽な ごまかしになっていくのではないだろうか
法律はお互いの信頼関係における裏切り
幸福の基準を持て
己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱みを口であげつらって、自分のレベルまで下げ行為、これを嫉妬というんです。一緒になって同意してくれる仲間がいればさらに自分は安定する。本来なら相手に学び、抜くための行動、生活を送ればそれで解決するんだ。しかし人間はなかなかそれができない。嫉妬している方が楽だからな。芸人なんぞそういう輩の固まりみたいなもんだ。だがそんなことで状況は何も変わらない
談志か認めてくれなくて何の為の真打か
立川談春
古典落語には冬の噺に名作が多いと云われている
談志は所属している落語協会の旧態依然としたあり方に疑問を持ち続けていた
落語家の前座はどんなに生活が苦しくてもアルバイトは許されない
落語って、常にその時代が求めてる正解の間とかテンポがある
最善を尽くしたかどうかは、自分で分かりますよね
学ぶ楽しさ、師に誉められる喜びを知ることが第一歩
(立川談志さんについて)神様に選ばれたのかどうかは分からないまでも、あそこまで落語が好きで、あそこまで落語と添い寝してるのを見せられるとしょうがない
超一流の人ってご多分に漏れず闘争心がすごい
負ける喧嘩はするなが我が家の家訓
目先のことに流されるのはラク。うろたえて悩むだけでも1日は終わる。でも行動を起こさなければ何も手に入らない
無駄な努力をしてください。100個見つけたら1個ぐらい手応えあるでしょう
よく芸は盗むものだと云うがあれは嘘だ。盗む方にもキャリアが必要
談志を喜ばす知恵を絞れない弟子は、それはやっぱり罪だ
(弟子を育てることについて)良いのが育てば自分のライバルを作ってるようなもの
(談志さんについて)弟子が自分に対して刺激となる芸や理論、そこまでいかなくても、せめて情報だけでもいいから発信してこないかと望んでいるフシすらある
博打の才能はいくら儲けたかではなく、いくら買えたかだと思っている
落語家である以上、落語ができなければお話にならない。当たり前の話だが落語ができれば、それで良しというものでもない
近頃の落語家を目指す若者の親なんていうのは信じられないような甘ちゃんで、子どもより先に親を修業させた方がいいんじゃないかと思う
本当は競輪選手になりたかった
(立川談志さんは)褒める時は褒める
(志らくさんについて)同じ談志の弟子で同世代、キャリアも同じくらいなら、いつかはきっと勝負する時が来る
悩み続けて何もしないまま人生を終えるより、『あれもダメだし、これもダメだったけれど色々やれたから、まあいいか』と思いながら死にたい
弟子の奥にいる親の顔も見えてくる
競艇選手になるという夢が叶わず行く道を閉ざされて、結構マジで落ち込んだ僕は高校で落研をつくり、人前で話す楽しみを覚えた
落語家になるにはどうしても弟子になるより手がない
談志は揺らぐ人だから試験の基準が毎回変わるんで、どうしていいか分かりません
覚悟を決めて云うなら、オレが見返してやりたいのは立川談志、オレより先に志らくを真打にした立川談志にけじめをとらなければ、オレはスタートラインに立つことも、そこから一歩も先に進むことはできない