落語家の名言集
芸の体力というのは引き出しの多さであり、人生経験という貯金
桂文枝
人を傷つけるようなことはできるだけ言わない、あんまりエッチなことは言わない、悪い言葉は使わないようにすると、心に決めた
私が出逢った人たちの思い出、その人たちから学んだことを次の世代に伝えていく。それが生きている者の使命
一流の人ほど、下の人間に優しい
僕らが教えられることは教えますが、それを自分のものにして、それ以上のものを作り出せるかどうかは本人次第
人と同じことをやっていたのではダメですから、人と違うことを考えて、人の100倍くらい努力しないと
タレントとしてのテレビの仕事は「寄せる波があれば、必ず返す波がある」
いつまでも好調を保てるのか不確実なところがある
笑いにも品格が必要
よく落語は年齢がいくほど芸が枯れて、いい味が出るなんてことを言いますが、枯れた芸は枯れた芸
前向きでないと色気がなくなってしまう
芸人は明るく楽しくが大事
笑いは常に時代に寄り添っていなければ生まれません
反省しても後悔しない
学ぶと遊ぶを同時に一生懸命やって、それを仕事に取り込んでいかないと、芸人は長続きしない
生きていくということは、たくさんの死とも向き合うこと
自律神経失調症で苦しんだ十年間も私にとっては、貴重な体験、充電期間だった
いい時は驕らず、悪い時は腐らず
自分がイメージする「自分」と身体の実年齢に乖離が生じてきた(49歳時)
ダウンタウンは何かとんでもない発想をするんです。
我々なら、まず事実を積み重ねていって「分かる分かる」と共感を覚えてもらって、「誇張」へポーンと飛ぶんですけど、彼らはいきなりポーンと飛躍しよるわけです。
だからシュールなんです。
でもこういう笑いは長続きせえへんやろと思ってたら、シュールが日常化してくる時代になって、すごいなぁと思いました
落語というのは、やはり演者の人生が見えないと平板になってしまって、噺に奥行きが出ない
人気は「人」の「気」持ちです
運命には逆らえない。努力することで多少、運命を変えることができるかもしれないが、あとは吹く風任せである
これから僕がやることは一つ。次の若い人を育てるというのが僕の残された仕事(78歳時)
60歳になってようやく、自分に自信を持てるようになった
頭が柔軟な若いうちにどんどんネタを覚えて、自分で新しい笑いを作る。やればやるほど新しい笑いは発見できます
私が初めて談志師匠の存在を知ったのは大学生の頃。その時のネタは「野ざらし」。落語がカッコいい!衝撃的でした
これまでの芸人のイメージに当てはまらない芸人でもスターになれる
笑いのセンスというのは、小さい時からの色んな体験の中から出来上がっていくもので教えられるものじゃない
スター不足がまさに今の落語界の課題
舞台に出たら、とにかく早く客の心を掴みたい
全ての人に感謝
創作落語のいい所は、マクラと噺のギャップのないところ。口調も変える必要がない
五十にして初めて器用にやらずに努力するということを覚えた
笑いというのは、まず事実があって誇張があって、また事実に戻ってというサンドイッチ構造になっているんやなってなことを子ども心に考えた
持って生まれた素質を(幼少の頃の)環境が伸ばしてくれた
僕が人を飽きさせないように何やかんややるようになったのは、育った環境が大きかった
さんまさんの努力と自己プロデュース力はなかなか真似できない
家族の縁が薄いまま育った
高校時代が僕の一つのターニングポイント。芸能界に入りたいという思いが、漠然と芽生えたのも演劇部に入ってから
落語界は低迷気味ですので、さんまさんがきっと戻ってくると僕は信じています
型にはまってしまわずに、どんなことでも落語になるということを若い人たちには分かってもらいたい
芸人一人の力で芸界を変えるのは不可能
芸人というのは売れるまでが非常に難しいのですが、売れてからの対処の仕方がもっと難しい
テレビに出るのが怖くなっていた(三枝の爆笑夫婦出演時)
※三枝の爆笑夫婦… 1980年~1985年に放送されていたトーク&クイズ番組
談志師匠に背いたことを、そして六代目、桂文枝を襲名したことを後悔しないよう頑張らないといけないと心に誓った
※立川談志師匠からは六代目を襲名することを反対されていた
私には「細く長く」が合っている
私が目指していた笑いとは日常性と普遍性。つまり日々の生活で「ある、ある」と思わせる事柄や出来事から感じられるおかしさや明るさ、温かさだった
時代を越えて10年、20年、100年続く落語を作りたいと考えてきた
落語家として認められてくると、それまで増え続けていたテレビ番組の仕事はあまり来なくなった。
やはりテレビは軽さを必要とする世界なのだろう
(桂文枝 (5代目)からの教えの中で)一番印象に残っているのは、師匠のかばん持ちで歩いているとき大学の同級生に声をかけられ、しばらく立ち話をするということがあったんです。
その夜、師匠から「お前はもう芸人になったんや。
同級生であろうと誰であろうと、みんなお客さんや。
丁寧に接することができないと、落語家としての根性を持つことはできない」と教えられました。
それは私にとって一番大事な言葉になりました
戦時中のことはまるで覚えていません。終戦を迎えたときはまだ2歳
ウケなくても、落語っていうのは笑わせる手段で、その先に目的がちゃんとあるんですね。人間の非常識な部分とか悲しみとか、それを描ければいい。笑いは手段だから別にウケなくたって構わない
立川志らく
落語界の異端児と言われることがある
毎日同じことをやって同じことで怒られていると、想像力の訓練になる
相変わらず、落語を聞きに来る日本人は1パーセントもいない
高座に上がって生で感じたことを次へ生かしていく
今は談志を継ぐ気はなくなりました
落語っていうのはストーリーの面白さではないんですね。ナンセンスで非常識なキャラクターだとか、出てくる人間の面白さ
どこでも鉄板でウケているからと、その慢心が自分の成長を止めている場合もある
テレビは全部、「即興大喜利」なんですよね
落語は一生かけてやるもの
(談志さんになれないことが)無理だと分かったら気が楽になりました
芸は真似できても生き様までは真似できない
スターというのは超一流のこと
談志は、政治というおもちゃを見つけて遊んでいた
クイズ番組にあまり出ないのは、フラストレーションが溜まると思うので
基礎もできていないのに他の落語と違うことをやりたがり、早々と自分で考えたギャグを入れたりする弟子がいっぱいいるけど、それ はその場しのぎでしかない
高座に上がったそのときの気分と、観客席の雰囲気と、自分が思っていることとが、ピタッと合ったとき、いいものになる
ノリでウケた落語は、後で聞くとイヤになることが結構多い
落語とテレビは畑違いのようでいてそうでない。MCをやらせてもらって共通点があることにも気づきました
落語である程度の地位を築いてからテレビにいくっていうのは過去ない
落語は敷居が高く感じるかもしれませんが、映画やお芝居を観るようにふらっと訪ねてくれればそれほどの知識がなくても十分楽しめる
めがねをかけるのは、自分の中でゲン担ぎになってる
テレビで売れる云々は、ある程度巡り合わせもあります
(若い頃、談志さんに言われたこと)お前、巧い落語なんていつでもできると思っているだろう。でも、どっかで意識しておかないと、巧い落語ができなくなっちゃうぞ
独演会というのはネタの当たり外れがあります
(芝浜について)元々はあまり好きな噺ではなかった
一番憧れるのは超二流。半分は敵だけど、半分からは支持される。『あいつは二流だよ』とこき下ろされても、一方で『こいつはすごいんだよ』ってね。立川談志がそうだった
(芝浜にどんな印象をもっている?)一番遊べる落語です
伝統芸能というものは各々の弟子の中に師匠が残って、芸を極めていくものだと思っている
雑談を芸にできたら一流や
笑福亭松之助
素人のできへんことをするのが芸人や、そやなかったらお客さんがお金を払うて観に来てくれるか
落語も芝居も『型』が肝心。喜劇で木刀を持つときも、しっかりと『型』ができてないと絶対に笑いにつながらん
「即時即今」いま此処、生かされている命を一所懸命に生きるだけ
私のところに来たら「さんま」になれると思っている人が多い
人は皆、それぞれ考え方の違いがあって生きている。これが分かってからは人様に自分の考えを押し付ける事はなくなりました
笑いの為に工夫するのが落語家、その工夫を楽しむことが「人生を楽しく生きる」という事につながっている
努力することができるのも運命、いくら努力しようと思ってもできないのも運命
落語を何度か聞いて、その面白さに感動し、自分もこれと同じように落語をやって人を笑わしてみたい、そして人が笑う事を自分の喜びとしたいと心の中から湧き上がってくるものを感じた人が、この世界に入るのに、最も適している人
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