野球選手の名言集
現場が一番面白いというのは、誰よりも自分が一番わかっています
衣笠祥雄
(引退後約20年間もユニフォームを着ていないことについて)今も広島に帰るといろいろな人から「なぜだ」と怒られます
僕自身、自分がつくった世界記録が本当にすごいものなんだと知ったのは、96年にカル・リプケンが僕の記録を越えてくれた時でした。現役時代はひたすら毎日のゲームで頑張ることしか考えていなかったのですが、リプケンが出てきて、その足跡を冷静に見られるようになった。本当に すごいことをやったんだなと実感できたんです
自分が思っている以上に、米国のファンは僕のことを知っていてくれる。野球に対する思いの深さが違うという感じがします
(スランプで連続試合出場記録が危なくなったとき)本当に古葉監督にはご迷惑をおかけしたと思います。自分としてはあの時記録を切ってほしかったんです
なぜ、もう少し頑張れないのかとも思う。自分にご苦労さんとは言わない
可能性を求めて野球を続けてきたが、走、攻、守の三拍子そろった野球ができなくなった
私にあと10センチ背があり、20キロ体重があれば、また違った野球があったでしょう。でも(空振りは)この身体で「遠くまで飛ばしたいんだ」っていう気持ちの表れでしたよ。まぁ23年プレーし、504本打てたので、そういう意味ではあながち、あれも間違いではなかったのかもしれませんね(笑)
(衣笠さんといえば豪快なスイング)空振りね(笑)
関根潤三さんや広岡達朗さんに育てられた。ルーツは、チームにやれば勝てるんだという意識を植え付けた
まずキャンプのキャッチボールで思い知らされました。世の中には野球の上手い人が、こんなに大勢いるのかと。さらに打撃捕手を務めて、打つほうでも差を見せつけられて、まぁ落ち込みましたよ。自分はここに来ては、いけなかったんじゃないかってね
実は、私は入団するまでプロ野球を観たことがなかったんです。契約が決まり、初めて甲子園で阪神対広島戦を観戦したんですよ(笑)
当時、6球団からお話があったそうですが、どこに入れば自分が生きるのかと考え、私自身が(広島カープを)選びました
カープに入った頃、「痛いと言ってくれば休ませてやる」という中で育てられた。要は代わりはいくらでもいるということです
多少痛くても、試合しているほうが精神的に楽だもの。それはきっと、育った環境
試合のある日に、休みたいと思ったことは一度もないですよ
初めてケガをすると、どうしていいのか分かりませんが、一つずつ山を越えていくことで、このケガなら100パーセントは無理にしてもどの程度できるのか、試合に出られるレベルにはどう持って行けるのか、さらにはどういうケアが大事なのかを学ぶことができます
やはり本当のレギュラーと呼ばれる選手には、135試合ぐらいはちゃんと出てもらいたい。出たり休んだりの繰り返しでは、あてにできませんから
(全試合出場できる選手について)阪神の金本はもう別格ですけど、意外と見逃されがちなのが巨人のラミレス。彼は休むような故障も本当にしないし、しっかり結果も残し続ける、頼もしい存在ですね。ヤクルト時代からそうだったでしょう
オーダーを固定できるチームはやはり強いです。例えば投手を10人、野手も12~13人で1シーズンまわせれば、ちゃんと計算ができる。その上で、スピードがある選手が揃えば理想的です
(どんな選手を揃えてチームをつくってみたいですか?)タイプ的に好きなのは 足が速い選手なのですが、やはりチームとして考えると、まずは身体が丈夫な選手となりますよ
芝の長さでも打球は変わりますし、守備一つとっても地の利というのかな
私の想い出は広島市民球場にありますが、どうしても老朽化や施設面に不備もありました
後楽園球場のスタンドを見てビックリしました。広島ファンの赤い帽子と巨人ファンの黒い帽子で見事に2つに分かれている。スタンダールじゃないけど『赤と黒』の世界ですよ(笑)
私は2700試合近くに出場していますが、一番忘れられない試合と言えば、初優勝を決めた試合
私が子どもの頃、憧れたように、今の選手は子どもたちの憧れの人になって欲しいのです。そうなることで、また歴史がつながっていく。プロ野球が衰退してしまったら、先人にも次の人たちにも申し訳が立ちません
プロ野球80年の栄光の歴史は、先人たちの努力の賜物です。この努力に対しては、いくら感謝しても感謝し過ぎるということはありません。現役のプロ野球選手諸君は、ここを分かってほしい
日本の野球の世界、とくにプロ野球の世界が、私を生かしてくれる、素晴らしい世界だったからです
私は野球に救われたのですから。たまたま中学で野球を知り、それに打ち込むことで、世の中の落とし穴にはまることがなかった。この落とし穴は、中学でも、高校でも、大学でも、社会人でも、その段階、段階で必ずあります。私は、野球のおかげでその落とし穴を避けることができたのです
自分がここにいるのは、可能性があるということだ。可能性がなければ、この場所にはいない。そう思って、いつも自分を信じることだ
他人に好かれなくてもいいから、他人に嫌われることだけはするな
夢に追いつくためには、まず足もとの小さな自信からつけていこう。やがてそれが、夢をつかむまでになると信じて
チームが勝つために、いまなにをすべきか。僕よりも、外す決断をした古葉さんの方が苦しかったと思う
私に『野球』を与えてくれた『神様』に感謝します
どんな時でも、投げてくる球をしっかり見据えて、フルスイングしないと何も残らない。明日につながらないんです
誰にも好きなことはあるだろう。やっていて飽きないことがあるだろう。だからお父さんは言うんだよ。何でも好きなことをしなさいって。好きなことには、きみたちの素質があるからなんだ
野球が大好きでした。こんな好きなことを一日たりとも休めますか
自分でできることを、自分なりに一生懸命やってきた。ただそれだけですよ
ひとつハードルを飛び越えられれば、必ずひとつ力がつく。それが自信になって、次にはもう一段高いハードルを越えられる
「現在(いま)」を大事にして精一杯やるから、「未来(さき)」があるんじゃないでしょうか
自分がどんな人間で、何ができるか、毎晩、床に入って二、三分でいいから考えてみること。夢はそこから生まれてくる
人生なんて案外、「他人」の一言が決めてくれるものなのです
一番の根本は、自分を信じ切れたかどうか
人間、自分ひとりでできることには限界がある。だけど、人と力を合わせると、不思議なことに不可能も可能に、夢も現実になっていく。だから、出会う人を大切にするんだよ
運というのは、掴むべく努力している人のところへ訪れてくる
人生そんなに時間はないから、ずっと野球をやってはいられない
ダルビッシュ有
一瞬一瞬、今日を一生懸命に生きたい
今生きていることが当たり前じゃない
僕が完全試合をしてもチームにとっては3勝、5勝になるわけではないので何も思ってないですけど
(親子の軋轢が生じ野球を辞めるとなった時に中学生時代の恩師、山田朝生監督に対して)僕は一生懸命、野球をやりたいです。野球をやらせて下さい
常に変化できたっていう、それなりの成績を残せたのはたぶんそういうところかなって思う
確かに日本の野球の技術はそれなりに高いですが、全員の技術が飛び抜けて高いかといえば、そんなことはない。中途半端な技術ならば、メジャーリーガーの圧倒的なパワーには負けてしまいます。その部分の差をしっかりと認め、中学生、高校生からちゃんと体を作っていかないと、いつまでも差は縮まらない
正直な話、アメリカに行って日本との差をすごく感じました。一番の問題は、日本人がその差をわかっていないこと
理にかなった調整メニューやケアの仕方がすごく大事
日本の野球が認められてない。いくらWBCで勝ってもダメなんだなと感じます。何とかしないとなと思います
メジャーのやつらはなめてるんですよ。俺日本で7年投げてて、これだけのイニング投げてるんやぞって言っても「だから何なん」みたいな感じ
メジャーのバッターは向かってくる気持ちが全然違う
逃げないことですね
何も食べないことは絶対に避けています。お腹がすいていなくても、食事は絶対に3食摂り、食事の間もプロテインを欠かさず飲んでいます
身体ができて、技術も上がりました。それによって遊び心が出てきましたね。練習でも試合でも、さまざまなボールを試してみる余裕が生 まれた
いつまでも勝ち続けたいと思うからプレッシャーに感じるんですよ。自分は連勝なんて頭になくて、投げる試合にあわせて調整するのにいっぱい。その試合を作ることしか考えてないから、負けても勝っても気にしないんです
誰も考えつかない、身体に最高に効くトレーニングをどんどん作っていきます
自分の好きなようにトレーニングしてたり、ずっと同じジムでパーソナルしてもらってたら身体に偏りは出てくるよね
自分には責任がある
1日7食、その間にプロテインとかも1日5、6回摂って常に吐きそうな状態で毎日過ごしてました
僕やからできるみたいに言われますけど、僕だって何もしんかったら、防御率も3点台とかにすぐに落ちる。自分はそれなりの努力をしている自負はありますからね