「議論は手段であって目的でない、目的は実行にある」のであるから、自分の説を実行させればよいので、自説を発表する必要はない。むしろ自説を発表せずして、実際に行わせるのがよい
小林一三
衆人とていとけなき子供のときから、この良知を完全なままもっていないものはいない。かげりが多いというだけのことである。そうはいっても本体としての良知だから、もともと簡単に消滅するものではないので、たずねては学び、かげりを克治するというのも、やはりひとえにこの良知を拠りどころにするのである。学ぶ割合が多いので、それで「学んで理解し努力をかさねて実行する」(中庸)というだけのことさ
王陽明
自分の利益や便宜、あるいは自分が他人の目にどのように映るかだけを考えていては、意義のあることを成し遂げることはできません。自他ともにその動機が受け入れられるものでなければならないのです
稲盛和夫
重要なのは行為そのものであって、結果ではない。行為が実を結ぶかどうかは、自分の力でどうなるものではなく、生きているうちにわかるとも限らない。だが、正しいと信ずることを行いなさい。結果がどう出るにせよ、何もしなければ何の結果もないのだ
ガンジー
自分の心の中に何か悩みがあるならば、先ずそれは「取越苦労」かあるいは、「消極的思考」かの何(いず)れかである。故(ゆえ)に入念に省察すべし
中村天風
歴史を振り返ってみれば過去にいくらでもヒントはあるのに、先入観や固定観念に左右されてなかなかそこからは学べないのが人間というもののようだ。けれど、その盲点がビジネスをする人間にとってはチャンスでもあるわけだ。誰も気がついていないからこそ、アイデアの源泉になり得る
三木谷浩史
世の中には、スローガンがたくさんある。スローガンの内容そのものは間違っていなくても、そのスローガンを具体的な行動目標に、落し込まない限り、それはただの掛け声に終わってしまう
あらん限りの知能をしぼって、何かより良いもの、何かまったく新しいもの、従来の物事のやり方とはどこか違ったものをつかんでこなくてはならない。それが創造的経験というものだ。やることが創造的ならば、失敗すら経験という宝をひとつ増やしたことに なる
ハロルド・ジェニーン
経営とは、いったんその事業計画と予算を定めたら、売上やら市場占有率やら、その他なんであれ、それを達成すると誓ったことをなし遂げなくてはならないことを意味する。もしその結果を達成することができなければ、その人は経営者ではない
人を笑わせる行為って、最も客観性が必要なことよね。しかもそれってとても自虐的要素の強い作業で、己が人様からどんなふうに見られているのか、何を求められているのかを冷静に判断できなければ、そこに笑いは生まれない。客観性って、いかに自分を曝け出せるのか、嘘を付けずにいられるのかなんだろうね
マツコ・デラックス
人を笑わせる行為って、最も客観性が必要なことよね。しかもそれって、とても自虐的要素の強い作業で、己が人様からどんなふうに見られているのか、何を求められているのかを冷静に判断できなければ、 そこに笑いは生まれない。客観性って、いかに自分を曝け出せるのか、嘘を付けずにいられるのかなんだろうね
危機につながるような致命的な失敗は絶対にしてはならないが、実行して失敗するのは、実行もせず、分析ばかりしてグズグズしているより余程良い。失敗の経験は身につく学習効果として財産となる
柳井正
勝つためにはどうしなければならないか。それには、敵を知り、己を知ることがまず第一。要するに、自分には何ができるか、自分は何をやるのが一番得手なのか、自分のやっていることが上手くいっているかどうか 、というように、己を知ることが肝心である
盛田昭夫
自由経済は、競争を前提とした社会機構である。競争が前提となる以上、やはり勝たねばならない。勝たなければ敗北者になるだけである。とすれば、経営者たるものは、自分の経営体を率いて競争に勝つということが使命であり、それ以外のなにものでもない
競技は結果が全てなのであって、そのために考えられる手段は何でもやる。選手は体を使い、指導者は頭を使う。それが、選手育成の大原則だ
小出義雄
理論に自信があれば、2つのものをつなげたら何が起こるか、理論で結果を想定するだけで、何もしなかっただろう。だが幸か不幸か、私は何の学歴もない。だから、何でもやってみなければ分からないではないか。それで私は何でもつなげてみた。そうしたら、信じられない面白いことがいっぱい起きた。それが私の発明の秘訣だ
エジソン