フィギュアスケーターの名言集
私はリンクの上にいるだけで幸せ
安藤美姫
フィギュアスケートは競技であると同時に、芸術性も要求されます。点数だけを計算して勝利をもぎとりたい人もいるだろうけれど、私はやはり自分の満足する演技をすることを大切にしています
アメリカにいると、自分の意見を言わなければ生活できません。いつでもどこでも「あなたはどう思う?」と聞かれますから
自分らしくいる為には、自分を隠してはいけないんだとよくわかりました
スポーツとは政治の外にあるべきもの。こうした制裁は大きな間違いだ※2022年ロシアがウクライナへの軍事侵攻を行った影響で北京パラリンピックでロシア選手が出場停止となったことを受けての発言
プルシェンコ
強いアスリートというのは、壊れないアスリートのことだ
カロリーナは偉大なスケーターで、氷上のプリンセスです。少なくともソチまでは継続しなければならないと思うし、できればその後もつづけてほしい。体のムーヴメントが素晴らしいし、美しいジャンプを飛ぶ上に、表現力も優れたものがあります
ユベントスも、あと二年プレイをする機会を与えるべきだったのではないでしょう か。オーストラリアでは彼のチームがやっと勝利を収めたそうですが。天才的なプレーヤーで、頭がよく、人当たりも良くて、まだまだチームに貢献する力があったと思うのですが。彼の能力はまだユーべにとって戦力になるものだったと思います
イタリアのサッカーが大好きで、もちろんユベントスが私の応援しているチームです。今でも「アレ」とはコンタクトを取っていますが、トリノに残るべきだったと思っています。チームの伝説的存在になっているのですから
まず自分自身の務めを優先し、自分の競技に集中するよ うにします。それから、時間があれば、間違いなくホッケーやその他の競技を見に行くでしょうね
今後自分にとって必要だと思われるのは、ミスなく滑ることと自分の実力を出し切ることです。表彰台に上れれば、それだけで幸せです。ソチでメダルを首にかけることは、それだけで勝利だと言えるでしょう
フィギュアスケートは大きく変わりました。現在ではトランジションやスピン、そしてもちろんジャンプに大きな比重がかかります。自分たちのスポーツがこのように変遷したのを好ましく思います
バンクーバー後に決めました。というのも自分のキャリアをロシアの大会で締めくくるのが正当だと思うからです。それが自分にとって全てです。あの地で出発し、その同じ地で最後の競技に参加する
常に自分の最善を尽くすよう努力してきたのは、競技が大好きだからです。挑戦が好きなので、ショーとは大きな違いを感じます。だからといってショーが嫌いというわけではないのですが、ショーだけだと充分なアドレナリン分泌を感じられないのです。(この二つでは)雰囲気は全く違い、自分は競技のために生まれてきたと思っています
将来の計画はイタリアに移住することで、今週はパドヴァに赴きアパートをいくつか見に行く予定です。 パドヴァには良いアイスリンクがあり、オーナーとは既に話をしていて、あそこに移住したいと思っています
トリノだけではなく、イタリアは僕にとって第二の故郷です。 とてもリラックスしていられるし、人のあり方も好きだし、食べ物も。この国で感じる雰囲気の全てがすきなんです
僕は誇りに思っています、全体的に僕が今シーズンを通過したことを誇りに思います。それは信じられないほど困難でした。でも僕は2度のオリンピックチャンピオンとして競技を去ろうとしています、二つのオリンピック銀メダルを4回のオリンピックで持ち、そして僕の意見では、僕たちの世界で近代ではこれ以上という人はいません
キャリアを終えるのは残念ですが、とても幸せです。 チームと共に金メダルを受け取って、とても幸せです
ウラジミール・ジリノフスキーには、僕はこう言いたい。公の活動家は一般に何かを表明する権利がありません。スポーツに近い人物ではなく、反対に、スポーツからとても遠い…
今僕に何か表明してほしい人たちは、僕の立場に立ってこう考えるようにすることを提案します。“それで自分はそうしようとするだろうか?”。4回転ジャンプをやること。 オリンピックに出て、世界中の目の前でフィギュアスケートに挑戦すること
僕は誰にもこの運命を望みません、とりわけ手術に関して、とりわけ最後のものはとても大変でした
大部分の人は僕の側にいます。でも他の人たちはただ心が狭く…そして彼らは僕に今教えようとしています。“それはこういう方法やああいう方法でやる必要があった…”
僕は確かな行いをしたと思いますし、もし誰かが生き続けること、仕事を愛すること、腕を垂れないことをそれによって鼓舞されたなら嬉しく思います。どんな場合でも!僕はそうしてきたと思います
僕は4度目のオリンピックでもう一つ金メダルを獲ったという実例によって、僕は若い人たち含め、示したいんです、どんな場合でも腕を下げてしまうことはできない、もし何か困難な瞬間があっても…
“若い人に道を”
僕は挑戦しました。僕は国のためにベストを尽くそうとし、スポーツのために、フィギュアスケートのために、ファンのために、可能なことすべてをやろうとしました。 でも、残念なことに、それは実現しませんでした
(マキシム・コフトゥンについて)すぐには見つかりませんでした。それから彼が病気だと明らかになりました。僕には提案されました。“君はこれからも滑ることができる”
僕はフィギュアスケート連盟に言いました、背中に問題があり、交代することができると
ある人々が、僕は若い人たちに道を譲るべきだったと言って、彼らのネガティブな感情を僕にはねかけるのはとても悲しいことです。概ね、僕は団体戦のフリースケートで背中に問題を感じ、そのためにサルコウとループ、2つのトリプルジャンプができませんでした
僕は自分のキャリアにしっかりピリオドを打って、プロフェッショナルになりたかった。でも多分、僕がすでに言ったように、神が決めたんです、“ジェーニャ、終わりにすることが必要だ”。
ソチでもう一つ金メダルを獲れて嬉しいです、でも、もちろん、僕はさらに望んでいました。残念です、健康のために競技を棄権しなければならなくなるとは、想像していませんでした
僕はドクターのところに行きました、幾らかの麻酔注射を受けました。局所麻酔のブロックエイドで、痛みは去って、今はずっといい具合だと言うことができます…
外国のある大企業と商談しました。私のショーの保証をする予定だった会社です。ロンドンで関係者と会い、契約書に署名をしました。ところが、対ロシア制裁が発動されると、協力を拒んできたのです。緊急的に替わりの 企業を探さなくてはいけなくなりました。というわけで、制裁を実感しましたよ
今のところ、母国を離れる心の準備はできていません。ロシアのために活動してきたし、それを続けています。ここでフィギュアスケートの学校を開校し、ロシアの選手を育てたいです。それが私の夢です
アメリカやアジア諸国からそのような招待はよくあります。例えば最近では、中国代表を指導してほしいと、中国に招待されました
地下鉄を利用しろなんて。昔は地下鉄や列車でさんざん移動しました。飛行機で大会の場所に移動なんて誰もやっていませんでしたから、3等寝台列車とは何かをよく知っていますよ
最近モスクワに、私のファンである10人の日本人が来たんです。「雪の王」のショーを見に。モスクワを観光したがっていたので、私も長いこと見てませんでしたし、喜んで案内に応じたんです。赤の広場に行ったのですが、すぐに後悔しました。そこにいたロシア人や外国人が写真やサインを求めてきて、騒ぎが起こったんです。フード付きの上着を着ていてよかったです。何とかごまかしました
地下鉄でどこかへ行くなんて想像もできません。その気もないですし
(最後に地下鉄を利用したのはいつですか)しっかりと覚えてますよ。17年前です(微笑)
サンクトペテルブルクからモスクワに来ると、特に違いを感じます。これは2つの違う街ではなく、2つの違う国です
居眠りして、馬や女王の駒に頭をぶつけて死ぬ、と考えることも可能です。つまり、年齢についての偏見は、想像の産物にすぎないのです
ずっと前に選手生活を引退することも可能でしたが、毎回戻ってきました。3年競技せずに戻り、1年弱で2010年バンクーバー冬季五輪の準備をし、銀メダルをとりました。多くの人は、金メダルも取れていたと打ち明けてくれましたが
トマシュ・ベルネル選手、ブライアン・ジュベール選手も、ずっと前に引退することもあり得ましたが、何度も氷上にあがり続けました
男子を例にあげると、昔は20歳で引退し、ショーに転向していました。私は何かを変え、他の人と違うことをしようとしました
無理だとしたら、それは健康の問題のみです。選手にとって35歳とは何かなんて考えることはありません。スポーツは心持ちで決まります
多くは私自身の心身の感覚次第です。ケガの後、競技のために自分を整えなければいけません。今はスタートや大会について考える余裕すらないです。数年経過して、物足りない思いをすることが必要です。その後どうなるかですね。演出、振り付け、音楽、衣装と、「雪の王」のショーにも注力していますし
正直言うと、今は競技でお腹いっぱいなんです。バルセロナのグランプリファイナルの様子を見ましたが、あの雰囲気に溶け込む準備は今のところできていません。お腹を減らさないとです
ウラジーミル・プーチン大統領は最終的に、約束を果たしました。後の大きな遺産となるような、と てつもない贈り物をロシアにしたんです
グアテマラでソチ五輪のプレゼンテーションをした時、私たちはどれほど緊張したことか。そしてソチが選ばれて、皆大喜びでした。ところが、「えーソチかよ。あんなとこ何にもないし、何もできない。盗みばっかり」などと水を差されました
(ソチ五輪について)ホテル、スケートリンク、物流、インフラなどのすべての面で、最高の五輪でした。山間部に行くことはできませんでしたが。アイスホッケーの2会場とスケートリンクについては、基本的には非の打ちどころがないでしょう。開会式と閉会式も感動的でした
パトリック・チャン選手、高橋大輔選手など、男子シングルの多くのトップ選手が今シーズンを見送っています
ロシアの選手についてですが、ようやく安定し、世界の上位3位以内に浮上したセルゲイ・ヴォロノフ選手の成功を嬉しく思います。偉大なるエテリ・トゥトベリゼ・コーチのもとに移ったことは、間違いなくプラスに働きました。トゥトベリゼ・コーチは敏腕を発揮し、セルゲイを見事に指導しました
自分が羽生選手に好感を持っていることは隠しません。ファンですし、彼の後ろにフィギュアスケートの未来があると思っています
今僕の最後のスタートに向けての準備に対し,悩ませるものは何もない。家も建って,子供たちも育っている。今最も重要なことは勝つことだ!
僕たちはモスクワの郊外に家を買った。サーシャが生まれた後で,アパートが僕たちにとって狭くなったんだ。そして子供たちが来てくれたときのことも考えても,都心部の外に住むのが心地よいと考えたんだ
母と父は行かないよ。彼らはスタンドにいることはない。とても心配してるんだ。僕の隣には妻と子供たちみんながいるだろう。サーシャも含めてね。そして前妻のマーシャがイェゴールを行かせてくれるなら,彼も来て父を応援してくれるだろうね
もしチーム競技にいれば,その人は給料をもらいながらもベンチで休めるだろう。でも残念ながら,こうした個人競技ではそんなことはないんだ。怪我をすれば出ていき,怪我の証明しようとする。スポーツの種類がより個人的になればなるほど,それらはもっと複雑になるんだ
もうすぐ僕は31歳になる。僕の人生すべてがスケートだった。そして今分かったことがある。これは実に難しいスポーツであると
まさか。もう僕たちの誰もフィギュアスケートを選ばないさ
僕だっていつもいつもスケートが好きなわけじゃない。頭や背中,肘にガツンと強い痛みを感じたとき,どう思う?そんなことを好きだと思う?自然と,僕は早く終わらせたくなった。そして芝に行って子供たちとゴルフをしたかったよ・・・
サーシャはきっとアスリートになるよ。ホッケーか,ゴルフか,フットボールか,テニスのいずれかね
僕はヤナの息子たちとは友達だよ。既に彼らには言ってあるけど,僕がフィギュアスケートを止めるとき,彼らと他のスポーツを探求していくつもりだ。彼らは今フットボールをプレイしている。しかもプロフェッショナルなレベルでね。彼らにはすぐに明らかにさせたんだ。『君たちはアスリートになる。君たちがサッカーを好きだろうとそうでなかろうとね』
僕たちはまだ家族の完成を止めていないよ。ヤナは僕にオリンピックの後もう一人子供を産んでくれると約束してくれたんだ
家族は最も大事なんだ。正直言って,どんなメダルも,お金も,勝利も,家族の代わりにはならないよ。僕が妻や子供たちといるときは,僕は自然に自分自身でいられるんだ。僕はいつもビッグファミリーを築きたいと夢見ているよ
僕は本当に家族に会いたくてたまらない。ヤナの息子であるアンドレイとコーリャも。長男のイェゴールにも会いたい。リトルサーシャにも会いたい
学校を設立したい。そして必ず自分のアイスリンクをね
ショートプログラムも興味深いと思うよ。「We Are From the Future 2」という映画から,オケアン・エリジというグループの音楽で滑るつもり。メロディーとしてはとても叙情的に傷ついたかんじで,深い音楽だ
コスチュームはユダシュキンに頼んでいる。良いチームであると思うよ
去年2年間は本当に大変だった。でも今は大丈夫だよ。フリープログラムについてはほとんど準備ができている。僕は自分のベストパフォーマンスのメドレーをするつもりだ
僕の主なライバル・・・それは僕だね。ケガを乗り越えることが必要だ。心理的にも
現在は,僕はもちろん,アプローチの方法について違ったことを考えている。毎日僕は朝8時にはおきて最初のトレーニン グだ。道はすでにとても険しい。今は安定したクワドジャンプを跳んでいる。文字通り昨日.クワドルッツを跳んだんだ。これは今フィギュアスケートでもっとも難しいエレメントだ。そして僕は今燃えているんだ
僕は12歳の時にダブルアクセルを教えてもらって13歳で成功させた。14才ではもうクワドジャンプをやってたんだ。体はまだ完成してなかったし,骨は弱かったけど,こういった複雑なことをすべてこなしたんだよ!そしてチームはコーチと振付師だけだった