伊東豊雄の名言集
豊かさとは何かということにおいて、考え方の転換が必要な時代なのではないでしょうか
伊東豊雄
自然に近く、開かれた生活は人とのつながりを広げ、深めていく
都心の生活は、あまりにも自然と切り離されてしまっています
建築を考えることとは都市を考えること
機能という概念で全てを決められてしまうのは、人間をどんどん動物から遠ざけている
心地良さを体で表現できるような、そういう事が今の建築はできにくくなってる
いじりまわせるような建築でなくてはいけない
三次元の曲面を使えば使うほど、最後やっぱり職人の手になる
ブランディングの仕事をずっとやっているんですが「ブランディング」ってやっぱり欧米が生んだ概念
20世紀的な作品主義が終焉を迎えている
西洋の人は、自然を対象化するというか、自然は征服できる対象だと思っている
日本ももう少し規制が緩くなると、楽しいことがいっぱいあるはずですね
建築ってどこかで体とつながっている
昔の日本の暮らし方みたいなものにして、それをテクノロジーを使って快適に過ごすような。そういう建築があるんじゃないかと僕は思うのです
(自分が思う理想の建築とは?)年ごとにコルビュジエの建築に惚れてきています
日本の建築家は抽象的に作る能力はすごくあるかもしれません。いろんなものを洗練して、削ぎ落とし、ミニマルとまではいかなくても、抽象能力の高い建築を作ることは得意かもしれません
海外では僕らでもなかなかいい建築を作るのは難しい
海外と比較すると日本の職人はこんなに優秀なのかと驚くくらい精度の高いものを作ってくれます
(日本の建築家は)伝統的に、ものを美しく作る繊細な能力がある
一旦は消費ということを受け入れないと建築は成り立たないと考えています
手というものが建築にとって重要
僕がやろうとしているのは、建築家という鎧を捨てたところで人と話し、自分がそこで何を感じ、そこからどんな建築ができるかを考えるという単純なこと
大阪万博の翌年、つまりメタボリズムの時代が終わった後でした。明るい未来の描けない、夢のない時代に建築をつくらなくてはならない、というところから建築家としての活動が始まりました
自然ってどんな事をしたって人間は敵わない
人の住む場所というのは、それぞれ違っていて、だからこそ人間の個性が成立している
受け入れられない建築家たちはますますアート寄りに、抽象化していく傾向がある
高層化する事を誇りにしている、そういう建築に対して、ますます疑問が大きくなってきていて…
抽象絵画の ように建築は考えられてきました。そうではなく、利用者のために建築はどうあるべきか。建築はどのような社会システムの中で作られていくべきか。建築原理を根底から作り直してみたい
どこかの線で外界から切らないと「建築」と呼べるものにならないんだけど、完全に切るのではなく、自然と関係を保ちつつ、どこか自然とは異なる場所を作りたいんです
(2011年の)大震災の後に考えたのが「とにかくできることから始めよう」「でも批判はしないようにしよう」ということです。例えば仮 設住宅の計画や居住性が良くないと指摘することはいくらでもできますが、それを言っても始まりません
建築家は建築家の為に建築を作ってるんじゃないか
一番問題だと思っているのは、技術によって自然をコントロールできてしまう、だから人工環境を作っちゃうんですよ
どういう建築を作りたいかって言われると、やっぱり心地よい建築を作りたい
もう一回、僕らが元気になる為には、建築を自然に対して開いていかないといけない
建築家の世界でしか通用しない論理で語られ、社会に対して開いていない。これでは建築家はますます社会から信頼されなくなってしまう
世の中は本当に壁ばかり
(建築家になったきっかけは?)
全然積極的な理由がなくて、成り行きなんです。僕は東大以外の大学だったら、入学の時に決めなくてはならないから、建築に行っていないと思うんです
建築は実現するものだという前提に立って建築を考える場合と、理屈だけ、論理だけを追究している場合とでは、考えることが随分変わってきます
現在教えられている建築は基本的にモダニズムの建築原理だと思います