プロレスラーの名言集
俺は仙台のこの景色を、この日を一生忘れません
棚橋弘至
時代は変えるものじゃなくて動かしていくものだと思います
こういうのはなあ勢いが大事なんだよー!
俺のかっこよさは反則だけど
俺の進化がとまんね~
100年に1人の逸材、棚橋弘至です
愛してま~す
プロレスに限らず、突き詰めていかないと物事に対して自信がつかないですよ
小橋健太
何より、過去を振り返ってばかりいたら、人生がもったいない
ケガや病気がなければ、出会えなかった人達もいる
失敗や苦労は、必ず今の自分に役立っている
僕は過去を振り返って後悔することはありません
どういう風に向こうが来るかわからないけど、俺は行くから。どんなものが返ってくるか怖い部分もあるけど・・・行かなきゃ小橋建太じゃなくなるからね
引退は自分でしっかり決めたことなので、後悔はありません
プロレスは自分の青春。一つの青春は終わり、また次から来る青春を頑張ります
もちろん絶望という気持ちもありました。辛いですし、苦しいですし。息ができなくなるような苦しさっていうのもありましたし。もうどうしたらいいんだろうって思いますよね。でも前に進むしかないんです。生きていく以上、っていうより、生きることが出来る以上。こうして生きることが出来る。本当に素晴らしいことです
プロレスラーを続けたければ、どんな形でもリングに上がれるかもしれないけど、僕は、“自分の試合”ができないのなら辞める。それだけ真剣にプロレスと向き合ってきました
膝、首、腰が日常生活にも支障を来すほどダメージを受けていますが、「あの時、こうすればよかった」というのはない。それは自分の人生を否定することだから
僕は、後悔なんか何一つないです
プロレスラーって正式な引退試合をしている人は少ない。僕がちゃんとした引退試合ができたら、それも後輩への一つの道標になるかなと思いました。今日は天国にいる馬場さんと三沢さんに届くように、心の中で”今日で引退します”と告げました
僕に何かあった場合、ファンの子供たちがプロレスに夢を持てなくなる。プロレスラーを必死にやってきて、最後にそうなってしまうと、プロレスを見る子供の数が少なくなってしまう。プロレスを衰退させるようなことは、絶対にしたくなかった
試合前まで、昨日もずっと病院で治療していたんですけど、体がどうなろうと今日は絶対架け橋、ムーンサルトをと思ったし、その想いが。あと 自分のコンディションがどうなろうと前を向いて行きます。それは今日の『ALL TOGETHER』の意味、倒れても起き上がっていくその姿が大事だと思うんで、自分もこっから立ち上がっていきたいと思うし、それこそ自分も復興しないといけないんで
プロレスの力ってなんだろうって見た人しかわからないって言うかもしれません。でも、これがプロレスの力だと思うから、ずっと続けていくしか、届くまで続けていくしかないと思うから、頑張っていくしかない
プロレスの力がまず届いてほしい
こうやって、熱い闘いで被災地に届くような、この大会でできた収益が被災地にいけばどれだけ嬉しいか
何で自分ばっかりとか、そういうのはないです。そうなった現実を受け止めないと、それは逃げ道になってしまうので
(プロレスとは何か?)わかりません。オレが聞きたいです。なんだろう? 答えがわからないからリングに帰ってきたんです。わからないからリングに立つし、プロレスをやめるまでわからないと思います。だからリングに立つんでしょうね。
プロレスに限らず、突き詰めていかないと物事に対して自信がつかないですよ。だから、これくらいやらないと小橋のプロレスはできないんだという気概で練習に挑んでいた
プロレスラーになった以上、自分でストップするのは無理
高山善廣
ファンの前で「プロレスを辞めます」って、自分の足でリングを下りるのを最後に見てもらいたい
早いね。あの(事故)直後は「何で生きているんだろ」って思っちゃった
俺たちプロレスラーは馬鹿だから。馬鹿だけど地獄のような経験をしてきた。人間の持つ強さっていうものがあるはず
子どもの頃に病弱だった俺が、まさかここまで来れるとは…
俺はどの場所でも、それなりのインパクトを残してきた
(PRIDEのドン・フライ戦)試合は、ひと言で言えば、ノーガードのぶん殴り合い。お互い相手の首を左腕で押さえて、右腕でぶん殴る。あのシーンが拍手喝采を浴びたわけだが、確かにあとでビデオを見て、自分でも笑ってしまった。なんじゃこりゃ、すげえことやってるじゃん、といった感じで大笑いした
彼ら(三沢光晴・小橋健太)がいわゆる王道であったからこそ、俺はそこじゃなくて違う道だな、と思うことができた
三沢さんっていうのは常にファンを引っ張ってたような気がする
昨日、天龍サンと電話で話をした・・・実娘の嶋田代表からマスコミ発表前に連絡を頂いた時には遂にその時(天龍源一郎選手の現役引退)が来たかと思った
俺は三沢さんと闘うことで、「これがプロレスなんだ」って思った
俺は自分がやってるUインターのプロレスに結構自信を持ってたんだけど、プロレスよく知らない友達に『おまえ、何チャンネルに映ってるの? 4チャン? 10チャン?』って言われて、『いや、テレビには映ってない』って言うと、『なんだ、そんなとこか』って言われて、それが凄く悔しかった
この人(三沢光晴さん)に向かっていったら、俺はどんどん成長できる
三沢さんに関しては、後になって凄さが段々と分かってきた
全日本に上がり始めた頃、最初に『コイツだ!』って思ったのが小橋健太だった
『世界のプロレス』は観てましたけどね。ロードウォリアーズ! 俺はあれを観てたから、のちにノー・フィアーのあのインタビューができたんだよ
三沢さんと初めてシングルをやったときも、「食ってやる」っていう気持ちだけだった。だけど、噛み付いたら、俺の歯のほうが折れる、みたいなね
人間って切羽詰ったら神頼みするんだよ。どうやったら、どこにお祈りに行ったら、三沢さんが生き返るのかなって本気で考えた
猪木さんの本を読み、『頑張ればできる』『思えばかなう』という言葉にしびれた俺は、まさにその言葉を現実のものとした
その本(苦しみの中から立ち上がれ アントニオ猪木 (著))の中には、猪木さんが力道山のもとに入門したばかりのころ、全然スクワットができず、鬼のような師匠に怒られ、殴られながらも頑張って、少しずつできるようになったことが書いてあった
小橋建太は目標であり、あいつを倒すことが目的でもあった
高山善 廣
自分が脳梗塞になった時よりも、小橋建太に腎臓ガンが発見されたって聞いた時のほうが、目の前が真っ暗になったよ
(小橋建太選手の引退を聞いた時は?)ホッとした部分はある。怪我や病気があってね。言っちゃったらアレだけど、三沢さんのことがあったから
力道山先生《過去のプロレス漫画で馬場サンも猪木サンも、そう呼んでいた!?》によって日本初の本格的なプロレス国際試合が行われたらしい
三沢さんのエルボーを初めて食らったとき、口から脳みそが飛び出るくらいの衝撃だった
(ジャイアント)馬場さんは別格だった
何も考えずにぶつかっていけばいい試合になる
生き返ったというのを見せたい
(三沢光晴選手からの)影響は大きいよ
いつか必ず立ってみせる
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