テニス選手の名言集
まずはアグレッシブでいること。でも我慢すべきときは多めに動いて、正しい選択ができるように心がけた
シャラポワ
テニス人生のこの時点で、初めて決勝の舞台に立てるというのは素晴らしいことね
目標にする選手? いないわ。だって、私は自分自身が強くなった姿しか、イメージしていないから
ベストのシナリオなんてない。いい選手と当たれば、戦い方を探し、勝機を見いだすだけ
リオデジャネイロにはぜひ行きたいと思っています。ロンドン五輪では決勝でセリーナ・ウィリアムズに負けて、銀メダルに終わりました。次は絶対に金メダルを取りたいです。なので2016年まで引退を考えることはないでしょう
(2005年)お金を稼ぐのがいかに大変なことか、せっかく稼いだお金がいかに簡単になくなってしまうか、私はよく知っている。でも私はまだ18歳。人生はこれから。いろんなことに挑戦していきたい
人々が私のことを騒ぐのは、テニスだけのためじゃない。だから醜くならないよう気をつけなきゃ
テニスをやるのは世界のナンバーワンであり続けたいから。もしナンバーワンを目指すのじゃなければ、初めからやらないほうがましだわ
(精神的な緊張を和らげるために、どのようなことをしますか?という質問への答え)そのときの気分にもよるが、音楽を聴いたり、風呂に入ったりはしない。普段、チームと一緒に過ごし、試合のことやいろいろなことについておしゃべりをします
(フロリダのニック・ボロテリー・アカデミーに入った当時を振り返っての発言)最初は簡単ではありませんでした。ずっと年上の2人の女の子と同じ部屋で生活しましたが、年齢が離れすぎていて友だちにはなれませんでした。あと言葉の壁もありましたし
時間は限られていますが、私のビジネスを進めてくれる良いチームがあります。ただ管理しているのは私で、すべてのことを把握しています。ワインガム市場を自分で勉強したところ、ここにはプレミアム・クラスがないことに気づいたので、大人向けの質の高い高級品をつくりました
(勝利者インタビュー)本当に厳しかった。コート上で何をしたらいいのか、考えることすら大変だった。こんなにも暑すぎると、頭が正常に働かない。こんな暑さの中で、3時間もプレーするのは非人間的だったわ。私たちの体は、こんなことをするために出来ているわけではないと思う。だけど暑いのは、私にとっても、相手にとっても同じ。ただどちらが勝てるのか、肝心なのはそれだけだった
まだまだタフな対戦相手たちが待っている
隣に誰かがいてくれるのを見るのは素晴らしい事。特にその人が自分自身の人生をしっかり築いていて、一人の大人として成長していて、私がしている事を尊敬してくれながらも、その私の人生の大きな一部でいてくれる。それはどんな関係であろうととても難しいバランスなの。でも今こうしてそんな関係を持てる人がいてくれる事に感謝しているわ
(コーチとして招いたジミー・コナーズ氏との契約終了に関して述べた言葉)ジミーは、単に悪いタイミングで悪い状況の時に来てしまったの。彼が来たウィンブルドンの後は、どのコーチが来てもあの時の自分の気持ちの状態で上手く行った人はいなかったでしょう
尊敬できる事は尊敬する。自分の試合や自分自身が酷ければ、素直にそう言うしね。とても正直者なの
(セリーナ・ウィリアムズについて)本当のところ、正しくない事は何も言ってはいない。だから、秘密にしている事を世界中にぶちまけたわけではないわ。誰もが知っている事を言っただけだし、ただそんな事を私が言うとは思わなかっただけ。コートの上では彼女の事は本当にリスペクトしてるけど、それ以外は別物なだけ
2012年は私にとってチャレンジの年だった。辛い別れがあった中で久しぶりにグランドスラムでの優勝も飾ったわ。それはとても良かったし、良い状態にいるのは確か。でも今は、より経験も積んだ中での今の生活には、更に感謝の気持ちでいるの。だから家に帰って誰かと一緒にいる事も幸せだし、それは過去から色々学んだお陰なの
自分でもどうやってマドリッド大会を戦い抜いたのか分からない。そして次のローマ大会ではスローン・スティーブンスと戦って、その後こう感じたの。ありえない!肩が死ぬほど痛い。サーブを打つと激しい痛みに襲われるってね
シ ャラポワ
誰にでもチャンスや、“その時” がキャリアの中で来ると思う。分かれ目は、いくつかのポイントで精神的にタフになれるかどうか
私はフェイスブックをしています。(自分の私的な写真など)個人的な情報も載せるのだから、実は始める前は怖かった。でも、今は楽しい。毎日友人と連絡はとれないけれど、お互いにやっていることが分かる。私の場合、ファンに楽しんでもらうこと、むしろそっちを意識しているかな
この問題(チェルノブイリ事故)について勉強を始めると、次々と新しい事実が出てくる。もう随分前のことで、世界中の人たちも忘れかけていると思うけれど、貧困とか、いろんな問題が起き続けている。世界中に伝えたいことがたくさんある
モデルではないけれどね。年を重ねると、だんだん大変になってくるのよね。移動も多いし、長時間、日光の下にいるでしょ。肌のケアは大切。たくさんの水も飲み、日焼け止めもたくさん使う
ケガをして思ったんだけど、テニスはキャリアであって成功したいし、全精力を傾けるべきものだけれど、人生にはほかのものもあるということ。たとえ、いい結果が得られなくても、がっかりしないこと。そうすれば、いい未来があって、友達も仲間も助けてくれることを知った。1日の最後に、家族や友人と、日々のささいなことを楽しむことも大切
なぜ、人気者か? その問いの答えは分からないわ。多分、私は自分のしていることに、テニスであったり、ほかの活動であったり、熱心だからかな
前向きでいることが重要なの。試合は終わるまでどうなるかは分からない。テニスという精神面が非常に重要なスポーツでは特にね。負けている時でも、ポイントに集中して、ベストなプレーができない時も、状況を楽しむことが大切
(優勝まで)7試合連続ベストプレーをするなんて不可能に近い。でも、何度かタフな試合、フルセットの試合をくぐり抜けると、自信がついて、前に進もうって気持ちになれる。今季の四大大会は、残念だけど、『私の日』ではなかったということ
そんなに劇的にプレーは変えていないと思う。いつもしていることをしているだけ。サーブが良くなってきて、(試合中)悪い面より、いい面を意識できるようになっているかもしれない。集中できているのも好結果につながっていると思う
改良してきた部分がこなれてきて、実際(プレーも)よくなっている。ゲームの質、気持ちのありようも含め、いい状態だと実感している
肩のこともあるけれど、新しいコーチをつけたり、去年は変化の多い年だった。少しずつ、少しずつ良くなって、試合でも結果が出るようになった
今までの人生で恋愛経験はあるけれど、本当の愛だったとは思わない。たぶんあと5年以内にはハッキリしたことが言えるでしょう。恋愛の秘訣は、愛を探し求めないことだと思う。子供も欲しいし、テニス以外のことで幸せになってみたい
私の将来の相手となる男性は問題を抱えることになるでしょう。だって私は本当に愛犬ドルチェ(Dolce)の虜だから
親善大使として、国連開発計画にかかわってきました。また、自分の基金を設立し、子どもたちの夢の実現をお手伝いしています。これは、若い才能ある人たちが、より高い教育を受けることができるようにとの想いからです
私はロシア人であり、ロシアのパスポートを持っています。フェドカップでは、ロシアチームでプレーします。また家族とはロシア語で話しています。私にとってのアメリカ生活は、別の国からやって来たアメリカで暮らす他の人たちと同じです。いろいろなことを学び、適応し、好きなことは受け入れ、そうでないことは忘れて次へ進む
(結婚についての発言)まだ何年もチャンスがあるわ
(テニスプレーヤーになっていなかったらという質問への発言)大学でデザインを勉強していたと思います。私は常にデザインをするのが大好きで、タグ・ホイヤーをはじめパートナー企業と取り組むデザインの経験を楽しんでいます。そうした経験から多くのことを学ぶと同時に、デザイナーとして認められるためには、まだ道のりは長いことに気づきました
最低1年に1回は、大好きな祖母に会いにロシアへ帰国します。食べ物に関しては、幸い母が料理が得意であるため、一緒にロシア料理を作って楽しんでいます
自分自身についてしかお話することができませんが、私の人生はとても恵まれていると感じています。ですから、恵まれない人々と分かち合うことが公平なことだと思っています。自分自身はとても幸運な人間だと感じていますので、資金援助をしたり、知名度を活かして人々の手助けをしたりしたいです
(50歳になった時どのようになっていると思いますか?という質問の答え)まったくわかりません。明日何をしているかさえわからないのですから。皆さんは、私の年齢がその半分でしかないことを忘れがちですが・・・今言えることは、幸せで健康、そして好きなことをしていられたらと思いま す
(錦織圭選手について)ケイはすばらしいプレーヤーであり、素敵な人です。日本のテニスファンの皆様にとっても、応援できる偉大なプレーヤーが存在することは、非常にすばらしいことだと思います
17歳の時にウィンブルドンで優勝したことが最大の誇りです。ついに長年の努力と犠牲が報われた時でした。ごく最近では、肩の手術をした後にグランドスラム(ローランギャロス)で優勝できたことが、私にとってさらに大きな誇りとなっています。次の目標は、より多くのトーナメントで勝利を飾り、女子テニス協会(WTA) の世界ランキング第1位に返り咲くこと、そしてテニスへの情熱を持ち続けながら健康でいることです
コーチについて練習し始めてから、まわりの人たちが両親に、私には才能があると言い始めたのです。6歳の時、モスクワのテニスクリニックでマルチナ・ナブラチロワが私の才能を見出してくださり、その時から本格的な取り組みが始まりました。夢を追いかけるために、両親が私に対してあらゆることをしてくれたことに非常に感謝しています
私は常に競争することが好きでした。いつも試合を好んでいました。小さい頃からプ ロテニスプレーヤーになりたいと思い、その目標に向かって一生懸命がんばりました。太陽が照りつける中、何時間も練習したり、右打ちでプレーすべきか、左打ちですべきか、考え続けたりしました
(婚約解消に関するコメント)なかなか会えなかったのに、彼は10カ月で一度も(ロサンゼルスの)自宅に戻らず、難しかった
(サーシャ・ブヤチッチ氏について)お互いに思い切った決断だった。素晴らしい時間を共有したし、今でも友人として連絡を取っている
私の人生に選択肢はありませんでした。でも両親がリスクを冒してくれました。私が強い心を持っていられるのはそんな両親に育ててもらったから。感謝でいっぱいです
私がプロとしてやり遂げられたら、障がい者スポーツに携わる多くの方々に夢を与えられる。障害を持っている子供たちに『車いすテニスプレーヤーになりたい』と夢を持ってもらえる
国枝慎吾
車いすテニスって面白いと感じてもらいたい。だから、勝つだけでなく、魅せながら勝つテニスをしていきたい
テニス一本で生活するのは厳しい道と覚悟している
北京での金メダル以来、テレビで大きく取り上げられるようになり、車いすテニスがスポーツとして多くの人の目に触れるようになったことで、車いすテニスや障がい者スポーツの普及と発展のため、プロ転向を決意した
賞金の差以上に、一般のテニス人口と車いすテニス人口の差もすごいですし、しょうがないかなと思います。Gスラムに車いすテニスが入り出したのも最近ですし。歴史は浅いですからね。賞金に関しては、徐々に増えていけばと思っています
家に帰ると妻がいるので(当たり前ですが)、それがなんとなく不思議な感じ
一球に全力をこめる
やはり毎日の練習は自分を支えてくれる糧ですね。あれだけ頑張って練習してきたじゃないか!絶対に勝つ
チャンピオン、金メダリストとしての存在感を磨きながら、あえて挑戦者でいることが必要かなと思います。守りに入るのが一番危ないので、自分自身に対しても挑戦者であること。その意識を大切にしていきたいと思っています
壁にぶち当たったり、一進一退を繰り返したときも『絶対に乗り越えられる!』と自分を信じれば、いい方向に行けると思うんです
世界を目指す人たちは誰もが負けず嫌いですが、その中でもさらに負けず嫌いじゃないと勝てないんですよ
ただではコートに戻りたくなかったので、ボールを打てない分、体を鍛えた。体の強さは過去にないくらいのレベル。あとはプレーの感覚が戻れば。一歩ずつ進んでいると思う
何万本も打ってきた
両親に不幸を嘆いた記憶はない。そのまま一生、車いす生活になるという意識がなかったのかも
(プロ契約した時の言葉)厳しいことはわかっている。しかし、それを成し遂げられたら障がい者スポーツ界に携わる方々に夢を与えられるのではないかと思っている
メンタルの安定性とか、技術がひとつ優れているとか、そういった小さいことの積み重ねで勝ってきたと思ってるんです
パラリンピックで金メダルを獲っているという経験は、何事にも変えられないと思うんです。たとえ調子が悪くても、勢いある奴がいたとしても、ディフェンディングチャンピオンというだけで相手にとっては脅威になると思いますから
迫ってくる選手への危機感はもちろんあります。今年の全米も、相当アグレッシブなプレイをすることになると思います。実際、(彼らとプレイして)試合のスコア上では大きな差がついていても、内容としてはほとんど差なんてないんです
すごく基本的なことなんですが、まずは一球に全力をかけてプレイすることが勝利への近道だと改めて気づきました。それをフレンチオープンで心がけた結果、新境地が開けたと言っていいくらいの会心のプレイができました。とくに決勝のシェファーズ戦で勝ったのが大きかったですね。一度負けたあとの試合は、とても大事ですから
いつも負けを覚悟していますよ。そうでないと、練習にも身が入らないし、もっと伸ばそうと思えないですから
詰め切れないのは、まだやらなきゃいけないことがあるということ
やっぱり地位を守ろうとしすぎているのかな、という感覚が自分のなかでありました。もちろん、自分のテニスを改善することには挑戦してるんですが、試合のなかでは挑戦者ではないような気がしました。そういう意味では、良いタイミングで負けたなと思います
(敗戦の直後の言葉)自分の納得できるプレーややりたいプレーではなく、最近は “負けないテニス” をしていた
(好きな言葉「挑戦」について)これに尽きます。常にチャレンジを意識し、決断、行動してきたし、これからもしていく
世間の目が僕に向いているうちにプロとして活躍することで、僕の後に続く世代に道ができる
目標はリオパラリンピックで金メダル。もちろん東京パラリンピックでも活躍することです。そして東京では車いすテニスをもっと盛り上げ、魅力を感じてもらい有明のコートを1万人の大観衆で埋め尽くし、プレーで魅せたいですね
例えば僕の活動がメディアにたくさん取り上げられれば、やってみたいという人が増えて車いすテニスを盛り上げることができますし、選手も活動に集中できる環境が整うことにつながっていくと思うんです。その分、ぼくは成績を出し続けていかないといけないし、勝利を重ねることが使命だと意識しています
(日本人初のプロ車いすテニスプレーヤーになったことについて)なんでも挑戦してみようというよりは、後に続く人の目標をつくりたいという想いが強かったですね
車いすテニスを通して学んでいることはとても大きいと思います。それは「人間やってみないとわからない」ということ。最初、世界トップのプレーを観たとき「これはかなわないな」と思いました。でも今振り返れば、当時の努力は生温いも のだったと思います。着実に練習を続けることでトップの差を少しずつ縮め、始めは1ゲームもとれなかったのが、次は3ゲーム、1セット、そしていつしか勝つことができるようになり、世界一につながっています
ぼくは9歳の時、脊髄腫瘍で車いすでの生活になりましたが、その前まで野球やバスケットボールをやっていました。実はテニスにはそれほど興味もなく、バスケットボール部だったことと漫画が流行っていて、車いすになってもバスケットボールをしようと思っていたのですが、家の近くにチームがなかったんです。そんなときにテニス好きの母が家の近くで車いすテニスのレッスンをやっていることを見つけてきて、なんとなく行ってみたのが始まりでした
ぼくが試合中に『幸せだなあ』と実感するのは、観客のみなさんから声援をもらったとき。自分のプレイの一つ一つに歓声が起きると力がわいてきて、選手にとってこんなに気持ちよいことはないですよ。『よし、もっといいプレイをしよう!』と励まされます
気づいたことを書きとめると、自分が今何をすべきかが見えてきて、自分自身と対話しながら練習することができます。それ に試合前に読み返すと、自分なりに成長していることが実感できるんですよ
気持ち的に以前と違うのは、試合で〈勝つこと〉への執念ですね。 『自分は勝ちへの執念が世界で一番強い』と思っていましたが、もっと強くなりました(笑)。プロとして自 立するには自分を追い込んでいかないといけないし、今は勝ちに対する執念がプラスに作用していると思います
壁にぶち当たったり、一進一退を繰り返したときも『絶対に乗り越えられる!』と自分を信じれば、いい方向に行けると思うんで す。気持ちのうえでダメだと思ってしまうと結果にも影響するので、いい方向に進んでいくためにも、 〈プラスのイメージ〉を積み重ねることを大切にしています
(苦しい場面にあった時について語った言葉)北京のパラリンピックを乗り越えるときのほうが苦しかった
やはり毎日の練習は自分を支えてくれる糧ですね。あれだけ頑張って練習してきたじゃないか!絶対に勝つ!と、自分を信じることが武器になります
(車いすテニスを始めた当時を振り返って)母にすすめられたものの、最初はあまり乗り気じゃなくて…。でも、ラリーが続くのを見た瞬間、 『自分もやってみたい!』と、胸が躍りました。やってみたら想像以上に楽しく て、徐々にはまっていきました
与えられた命なんだ。どんな時も諦めずに生きていこう
『体育や野球ができなくなっちゃうな』と思ったけれど、車いすになったからと落ち込んだり、自分の将来を悲観することはなかったです。これは友だちに恵まれたおかげですね。放課後は友だちと遊び、『毎日が楽しくて仕方がない!』という 生活を送っていましたから
連続ポイントを取られると不安になりますが、『オレは最強だ!』の文字を見ると〈自信を持っている自分〉になれる。メンタル トレーニングを積むことによって、気持ちの切り替えができるようになりました
練習というのは時間より質が重要なので、『自分は今100%集中しているか?』と、常に自分に問いかけながら練習しています
『緊張感に勝つ』ことは自分に勝つことでもあり、達成感が得られる瞬間なんです
(車いすテニスを始めて1年目の中学1 年生のときを振り返って)1回戦で負けたのが悔しくて、そのときから練習に対する取り組み方 が変わりました。でも、負けはしたけれど、『試合って面白いな!』と目覚めた瞬間です。 ぼくは、根っから『勝負することが好き』なんでしょうね
青が私のラッキーカラーなんです!ウエアーとか、ネイルはほとんど青系統の色で揃えています。やっぱりお店でしてもらうのが一番テンションあがりますね
上地結衣
あとは、ネイルを最近気にするようになったんです。お店に行けるときは行きたいんですけど、大会前は予定がつまっちゃっていけないときは、自分で塗ったりします。今回もこれ自分で塗ってたんです
海外の選手と部屋をよくシェアしてるんですが、お互いに「今一番お気に入りの曲はこれ!」とかいって、部屋で流すんですね。日本の曲をあまりみんな知らないので、「これいい曲なんだよ!」ってglobeの曲について熱弁します
人 と話すのが好きなので、時間があれば海外の選手と話したり、パートナーのジョーダン選手と二人で食事に行ったりします。今回、ダブルスは年間グランドスラムを獲得することができたので、イギリスチームとニューヨーク最後の夜はお祝いの食事をしました。食事ももちろん1つの楽しみですね
もっと若い子たちが出てきてくれて、一緒にダブルスを組みたいなって思っているので、同じ年代の子たちがどんどん出てきてくれると嬉しいです
地方に行けばもう少しはいると思うんですけど、大会に出てもっと上を目指したいって言ってくれる子はまだ少ないんじゃないかな、と思います
女の子でも、車椅子テニスで頑張っていきたいと思ってくれてる子自分が知っているなかで3人位はいると聞いているんですけど、もっともっと増えていってほしいなと思います
国枝選手のおかげで、男の子は少しずつ増えているんですね。これから始めたいという子たちとか、もう試合に出始めている子とか
錦織選手が決勝まで残ったのと、ジュニアの中川選手がダブルスで優勝していたので、日本人の方が会場にもちらほらいて、去年よりも多かったんですね。その影響で自分たちの試合にもたくさんの日本人の方が見に来てくださっていて、それですごく色んな方に見てもらえたのかなって思います
土壇場というか、ポイントがほしいときに課題に挑戦していくのはやっぱり難しいですし、かなりリスクも高いので緊張もしますけど、こういうときにしっかり自分を出せていけたのはすごい自信 になりました
(四大大会最後の試合で一番いいプレーができた?)はい、できたと思います。まだ身に着けたい部分とかは色々ありますけど、ひとまずよかったかなって思えますね
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