いかりや長介の名言集
(志村は他の付き人とは違い、貪欲に笑いを盗もうとしていた
いかりや長介
高木ブーを自分でやめさせようと思ったことは一度もない
我々は芸能界というノーマルではない世界に首まで漬かっているのに、ノーマルな一般常識の基準で「仲が悪い」「いかりやがヒドイ」「志村が悪い」と言っても当てはまらないと思う
全ては成り行きだった
誰一人、ずば抜けた才能を持つメンバーはいなかった、他人を蹴落としてまで芸能界で生き抜いていこうという根性の持ち主もいなかった
(高木)ブーちゃんがウクレレのCDを出して評判になったり、インタビューされたり、CMで踊ったりしているけど、あれはウケを取ろうとしていないところがいい
ドリフを始めた時は誰一人として、まさかドリフの名前を墓場まで持っていくことになるとは思わなかったはず
ドリフは子どもをターゲットにしたお笑いと分析されたり、レッテルを貼られたりするが、我々にそういう意識はなかった
ドリフと怪我は切っても切れない関係だった
設定とタブーの結びつきが意表をつけばつくほど面白くなる
(踊る大捜査線について)成功の要因は素晴らしい脚本、腰も抜けようかという凄いセット、本広監督の演出センスなどが挙げられる
今や私も69歳、私は鏡を見るたび、禿げ方といい顔つきといい、年々、親父に似てきたような気がする
私はテレビに出てお笑い界のトップに立ちたいと願ったこともなければ、映画に出て演技賞を欲しいと思ったこともない
次いってみよー!
ご苦労様な毎日だよ
だめだこりゃ
志村は「全員集合」が始まる一年半ほど前に、突然私の家に訪ねてきた。「もうすぐ高校卒業しますから付き人の一人に加えてください」
圧倒的に仲本がずば抜けていたのは節税に関する知識だった
何事にも終わりは来る
頭の中では面白いギャグができたと思っても、実際やってみると、ちっとも笑えないことが多い
ドリフの笑いの成功はギャグが独創的であったわけでもなんでもなくて、このメンバーの位置関係を作ったことにあると思う
笑いは客の心理を読まないと成立しない
お笑い芸人でありながら、多数の人を泣かせて旅立ったことを、心より恥じる
正しいことをしたかったら偉くなれ
全員集合の終盤期において「カトケン」開始は決められた路線のようであった
運が巡ってきた。1959年(昭和34年)、28歳になっていた
親父が私に一番影響を与えた傑作な人物
私の本名は碇矢長一、碇矢なんて姓は珍しいが、新潟県あたりがルーツらしい
仲本は自分じゃ才能があると自信を持っていた
(俳優活動をはじめてから)自分がその場の責任者じゃない為、横のつながりができる
これから俺たち4人でドリフターズまだやっていくよ。アンタが残した財産だからね
※いかりや長介さんの告別式にて
長さん……。随分急いで向こうに行っちゃったんだね。アンタ、最後の最後に嘘ついたよなぁ。
去年の12月に「大爆笑」のオープニング撮るときに久しぶりに会って、「40周年の記念で『全員集合』と『大爆笑』、この2本撮りたいね」って。
長さん「いいね」って、「やろうよ」って、そういったよね。