関取の名言集
いわゆる長屋文化でいう近所付き合いが地域の方々との交流です。特に、地方場所では地域の方々が自由に朝稽古を見学に来ますし、地元のイベントにも積極的に参加しています。そういう今の日本に失われているものが相撲にはたくさんあるんです
貴乃花
今の日本は核家族化が進んでいますが、相撲部屋には昔ながらの大家族が根づいています。後援会の方々が祖父母、師匠と女将(おかみ)が両親、兄弟子と弟弟子が兄弟です。よくできてますよ
人間は絶対に負けられないときって、勝負しようとすると負けちゃうんですよ。体も動かないし……。だから、本当に負けられないときっていうのは、自分の人生をかけて、その場に居座ることが大切なんですよね
けっこう見落としがちなんですが、実は食べる順番も大事なんですね。まずは、ちゃんこの温かい汁を飲んで五臓六腑(ごぞうろっぷ)に染み渡らせるんです。そうしないと、なかなか食べ物が効率よく吸収されないんですね。私は食べることも稽古だと思っていますから食育も大切なんです
給料がもらえるのも十両からだし、化粧まわしが作れるのもそう。人生が大逆転し ますからね。昔、貧乏人が大富豪になる『大逆転』っていう映画がありましたが、まさにあんな感じ(笑)。とにかくメジャーに上がれるか、マイナーのままかという攻防戦ですから、みんな死に物狂いですよ
相撲って、基本的に頭から全力でぶつかり合うんですね。しかも、デカい体同士が裸でぶつかり合うんです。こんな競技なんて、相撲以外にないんですよ
まずは周りの話をよく聞いて、自分で吟味し、そしてそこから答えを出したなら、それについての意見は一切気にしないようにしています。つまり、やると決めたことは最後まで やり通すということです。その考えは一貫して変わりません
ただでさえ体が大きくて威圧的に見える力士が、道の真ん中を肩で風を切って歩いている姿なんて、私に言わせれば論外です。ほかに歩いている方々の邪魔にならないよう道の端っこを歩くべきです。そしてその姿勢は四股を踏む型どおり、背筋を伸ばした凛とした風体であるべきだと思います
兄弟であって、兄弟以上の存在。語らなくても、目が合えば分かる唯一の仲です
やはり自分には実感として相撲界は縁の下の力持ちである女性に支えられてきたという思いがあるんです。おかみ業なんていうのはその最たるものです。弟子たちの身の回りの世話、お金の管理、食材の買い出しなど、おかみがいるからこそ男たちは相撲に集中することができます
土俵の上が本当に魅力的な場になるためは、あべこべに聞こえるかもしれませんが、どれだけ土俵の外で相撲道の在り方を体現できているかが重要なんです
競技が終わったら出番はおしまいというものではありません。勝っても負けても相手を敬おうとする姿勢であったり、目上の者に対して礼儀正しく振る舞う礼節であったり、相撲には日本人として誇るべき美しい作法やしきたりが多く残されています。力士はそれを担っているという自覚を持たなきゃいけないし、また、地域の人と交流を持ってそういう文化を普及させていこうという姿勢をもたなければならないと思います
私は本当に多くの人に支えられて相撲を取ってきました。おかみさんをはじめ、力士を陰ながら支援をしてくださる数々の女性、土俵を仕切る行司や力士の結髪をする床山といった裏方の方々、ともに切磋琢磨し合った仲間達、そして相撲を愛して我々を応援してくださる多くのお客さん。それらの人々の後押しがなければ、現役時代の過酷な稽古を乗り切れたかどうか
歴史上に名を残している人物は圧倒的に男性が多いですが、それらの偉人だって必ず女性に支えられていたはずですよ。そもそも女性の命がけの営みがなければ、我々男性はこの世に生まれてくることもないのですから
大相撲という世界があったから、私はこの世に生を受けた意味があった
相撲はほかのスポーツとは位置づけが異なりますからね。相撲は競技であると同時に日本の文化でもあります。つまり我々は文化の守り人だと思うのです
幸せをもたらすうえで根っこにあるのは、土俵でお客さんをどれだけ魅了できるかです。さらには魅了を超えて、感動させることができるかどうか。それは、簡単に勝負が決まらない粘り腰の相撲であったり、事態を一瞬にして打開する鮮やかな技の応酬であったり、お客さんを会場まで足を運ばせるのは、結局そういった相撲そのものが本来もっている魅力だと思います
自分のためではなく、人のために生涯を過ごすことがやはり日本人の幸せであるし、そこに一貫性を持つことは相撲界が公益性をもって生き残るうえでも大事だと思っています
相撲界をやめたあとも活躍できれば、関取や親方になれなかったけれども相撲界で学んだことで成功していると、感謝の気持ちを持ってもらえると思います。これは相撲協会の公益法人としての一大事業ですね
自分さえいい思いをすればいいというのは苦手です。「武士は食わねど高楊枝」という言葉がありますが、相撲界には残しておきたい言葉です。相撲界は地位が上の者から食べますが、私の部屋では兄弟子たちに一番弱い立場の後輩に目を配れと言っています。体をつくらなければいけないわけですから
相撲部屋の場合は、やはり生活を丸ごと引き受けますので、まずはこの相撲部屋の生活に慣らすことから入ります。でもやっぱり、若いから誰もがホームシックになるんです。それでもとにかく帰る場所は実家じゃなくてこの相撲部屋、ここしかないんだよというところにうまくはめ込んでいく。まあ、いまうちにいる子たちは志願してきた子ばかりですからね。あとは炊事とか洗濯、掃除のやり方ですね。家族と同じです。血の繋がりはないんですけれども、それ以上の関係というか、本当の子供と同じぐらいの感覚はありますね
相撲の場合、何トンもの当たりの比重がありますから、怪我だけは気をつけないと。そこに関しては、教えるほうとしても危機感を持っています
力士は体格も得意技もそれぞれバラバラですので、その力士の体格や得意技、癖を考慮に入れた上で、最も合理的な戦い方を学ばせていく必要があります。簡単そうでこれがまた難しいんです。今は13人の弟子がいますが、13通りで教えなくてはなりません。自分でやった方がはるかに楽です
(サポーター制度について)古来,相撲は地域に密着したものでした。勧進相撲など地域のために役立つものだったり,巡業で訪れることがきっかけで神社仏閣ができたりとか。それをまずは自分の部屋からやろうと。具体的には定期的な親方便りとかですね
スポーツであり、伝統であり、文化でもあります。二千年以上も前からあるものですし、国盗りの話でも相撲の勝ち負けで決めるというような話もあるほど人々に根付いてきたものです。これからは,オリンピック種目にもなるでしょうが、スポーツだけでは語れないものが相撲にはありますね
成長していく過程できついとかつらいとか思う、そういう環境に追い込むことが親方の仕事だと思っています。五体満足で生んでもらったことへの感謝の気持ちがあれば,体が不自由で相撲を取りたくても取れない子がいるのに,きついって言ってられるかって