作曲家の名言集
曲を作ろうと意気込んだところで、だいたい良い曲は出てこないんです。寝ていて急に浮かんだりする。それをしっかりキャッチできるか
坂本龍一
いい音と出会えるのは一瞬
僕はリハーサルや予行演習が嫌いだし、人にも、しないことを進めています
アナログシンセは、やっぱり耳に心地いいし、パワーもあるし。デジタル系のシンセの音は、芯がないというか、物が鳴ってる感じが、あまりしないんですよね
ミニマル・ミュージック以降は、技法の変化も止まってしまった。僕は若い頃、バッハ以来250年の音楽の歴史を駆け足で勉強した。そしてやっと追いついてみたら、追いかける対象自体が消えてしまっていました
続く60年間は、音楽をどこまで壊せるかという試みに作曲家たちが挑戦した時代でした。それまでの調性音楽をストラビンスキーは外側から、シェーンベルクは内側から壊した。でもただ壊すだけでは音楽は作れない。なにがしかの構造や規則、新しいルールを一人一人が模索した
19世紀の初頭に若きベートーベンがいたのに対して、20世紀の初頭には若きドビュッシーがいた。この違いが象徴的です。
ドビュッシーの作品は一言で言えば『浮遊する音楽』。騒々しい作品は一つも書いていないのに、とても革命的な作曲家でした
モノをつくっているひとは、つくればつくるほど近視眼的になってしまう。大局的に見るのが難しくなるのはたしかだと思います…僕も実際に遠ざかってみますよ…意識的にスピーカーから遠くに立って、音楽に集中しないで聴くように努力します
もともとYMOって、ヴォーカルはあっても歌じゃなかったと思うのね。わけのわかんない英語の歌詞でさ。で、別に意味を伝え るとかっていうことでなくって、なんかそういうサウンドがあればいいっていう感じだったんだけど…
保育所以上の教育費も極力フリーにすれば、人口も増えるし、子どもをめぐる環境は良くなるし、仮に消費税が数パーセントアップすることになったとしても国民に支持されるんじゃないかな
大体、大学院に入って卒業するまで延べて1週間ぐらいしか学校なんて行ってないんだから
全然やらなかったもんね勉強なんて。勉強なんて考えたこともなかった
自分の音楽を考える一つのピリオドになった。音楽ビジネスは本来、もっとオープンに多くの人と共有する方が価値が出る
YMOブームが 過熱して、教授は疲弊、屈折し、どんどん痩せる。真剣に「売れることはあんまりいいことじゃないのかもしれない」と思い始める
音楽の流通に垣根を立て、それを越えたければ、お金を払ってというのが従来のビジネスモデル。でも、ネットの特性は自由な流通。新しい聞き手とつながるためのもう一つのチャンネルと考えたい
とても反語的なんだけど、アートはお金のあるところでしか発展しない。だから、世の中の必要性などに反して、自分の道を行け。アーティストの条件なんてないし、学校でアートを学ぼうなんて、もうそこか らダメ
ドビュッシーだって青写真的なものはあるけどかなりプライオリティは低い。むしろ聴く喜びの連続をただ求める「発想の瞬間」が続いていくだけ。ドビュッシーは作曲している途中どこに行くのか自分でわかっていなかったと思う。作曲する行為がある種、即興だった
僕のエコ意識はあくまでも『エゴイストのエコ』なんですよ。自分が安全なものを食べたい、おいしい水を飲みたい、きれいな空気を吸いたい、自分の愛する家族や子どもたちにもそうであってほしいという気持ちからです
「Behind The Mask」という曲をカバーして収録したいというオファーが来まして、"トラックは聴かせないけど権利は100%よこせ" と言ってきたので「それは何事だ!」と、頭にきて拒否した訳ですよね
音楽が世界を変えるとかと言うけどね、僕はそこまで力を持っていいのかというのも1つの疑問なんです
今の世の中はダウンロードで音楽を楽しむ層が増えて、CDの存在価値がなくなってきつつある。純粋に音だけあればいいっていう人もいる。一方で人間には物欲もあって、ちゃんと手に取れるものも欲しい。僕もレディオヘッドの豪華版のボックスは持っていたいと思ったしね
最終的に自分のエゴ(業)を乗り越えることが悟りであり、それは死をいかに乗り越えるかということでもある
よいメロディは気がついたら目の前にあることが多い
その日の体調などで音が変わってくる 手が記憶しているみたいなところがあって 普通は弾きにくい自分の独特な手の動かし方で弾いている
(まだやってるのかって?)僕たちミュージシャンが、こんなことをやらなくてもいいような社会が来たら、すぐに止めるつもりなんです
音楽のためだけに音楽を書いていると、音楽という様式の中での洗練へと向かわざるをえない、それはひとつの完成に向かうこと、生命が死んでゆくことですよね。面白くも何ともないのね
今の日本の音楽の状況を、哲学のたとえでいうなら、いまの日本のバンドの子たちは、欧米の哲学書をいっさい読まないで日本の先輩の本だけでもうわかった気になって、それ以上原典にさかのぼらないというような、そういう、内向というか…
『ラストエンペラー』の音楽は、東京で1週間、ロンドンで1週間、合わせてわずか2週間という地獄のようなスケジュールの中で書き上げ、録音したものです。ほとんど不眠不休での作業を終えたあとは、過労で入院という、僕としては初めての事態になってしまいました
個人のオピニオンを求められない社会。まさに官僚とかがそうなんですけど、むしろ言わないことが是とされるぐらいの社会で。はっきりしたことを言うと煙たがられる。西洋社会はまったく反対で、曖昧だと、『こいつバカなんじゃないか?』って思われる社会なんですよね
僕は、やるからには常にうまくいくことしか考えていません。小心者というか、石橋を叩いても渡らないタイプだから、そもそも負ける喧嘩はしない。失敗の可能性がちらつくものには近づきません
ガーシュウィンがパリにわたって、ラヴェル先生のところにいくわけだけど、そこで言われたのが『二流のラヴェルはいらない。お前は俺が書けないものを書いている』って弟子入りを拒否したんだって。いい話だなあと思う
いつも音楽やアートは100年とか150年単位で変化していくのですが、今確実に変わりつつあります。次にどういうものになるかはまだわからなくて、それが2050年頃じゃないかと勝手に思っています
映像で語りきれないことを、音楽で語らせる、という方法もある。チャイナタウンという映画は、二人の関係を、音楽でしか語っていないんです。そういう仕事が出来たら本望です
これはYMOのコンセプトだったんですが、僕らの音楽はそれほど大衆性があるわけではないので、日本だけで100万枚売るのは難しい。しかし10カ国で10万枚ずつ売れれば100万枚だし、100カ国で1万枚ずつ売れても100万枚。これは不可能ではないんじゃないかと…
ここ数年、日本に帰りたいと思 い始めました。ニューヨークは好きだけど、やっぱり人生の最期は生まれ育った国で迎えたい。アメリカの白っちゃけた土でなく、日本の真っ黒でふくよかな土に埋められて、ちゃんと微生物に分解されたいじゃないですか(笑)
もともと、自然の声を聞くということはアートの根源だと思います。現代社会で生きていると忘れがちになる自然からのメッセージに対し、敏感に反応する回路を取り戻していく。それが、震災以降これからのアートの役割にもなっていくと感じています
初めて会ったのは32年前の東京ですね、1980年。確か最初 のツアーで来まして、僕らYMO 3人で観に行きまして、その楽屋でクラフトワークとYMOという(笑) そのあと六本木のディスコに行きまして、一緒に踊りましたね。その話をRalfにしたら、覚えてましたよ
声を上げる。上げ続ける。あきらめないで、がっかりしないで、根気よく。社会を変えるには結局、それしかないのだと思います
ずっとニューヨークにいましたが、いつも見てシュプレヒコールあげていました。ミュージシャンということじゃなく、1人の日本人としてきました。みんなであきらめずに。がんばりましょう
全体的に感じたのは、いわゆるエレクトロニカ系とか言われる……まあ、その中にもたくさんあるので、ひとつの言葉で括るのは難しいんですけど、ま、そういう傾向のものが、あまり新鮮に聴こえなくなってきたっていうことですかね
シンセサイザーは音をつくっていくものなので、そのなかではプロフェット5がいちばん使いやすい
1990年代にコーネリアスやピチカートファイヴが“ポップなジャパン”の下地を作ったので、Perfumeの可能性はかつてよりもはるかに高いと思いますね。ネットを通して価値観も変わってきているし、オルタナティブなものを聴く若者も増えているので
遊びは結果を求めませんし、プロセス。僕が音楽を作るのもそんなプロセスが面白いから…子供の砂遊びみたいに、何を作ろうとイメージするのではなく、いじっているうちに形になっていく。それが創作であり、僕にとって創作こそ遊びだと思います
曲を作ってからどの音楽をどの場面に入れるかのリストを作り、大島監督と突き合わせをしたらなんと99%一致していて、これですっかり自信がつきました。まったくの新人に大切な仕事を丸ごと任せてくれる、その懐の深さがありがたかったですね
大島渚さんが逝ってしまった。監督が、お一人で台本を抱えて来られ、映画に出演してくださいとおっしゃり、私は無謀にも『私に音楽をやらせてください』とお願いし、全てはそこから変わった。この喪失感は誰にも埋められない。大島さん、安らかに。合掌
練習嫌いのぼくがいうと説得力がないかもしれないけど、とにかく好きな音楽を弾くのが一番。好きな音楽だったら、うまくなりたいと一生懸命練習するでしょう。それをきちんと弾けるまで練習を積み重ねる
偉大な映画監督、偉大な人でした。社会を厳しく叱る人間がいなくなり、日本は少しつまらない国になったかもしれません。あなたのすべてにありがとう
いま普通に手に入る音源のなかで、おどろいたことにCDが一番クオリティが高いんですよ。なくなるはずのCDが一番音質がいい。だから買ってラップトップに取り込んでいます
大づかみのテーマになるようなメロディーやフレーズをたくさん考え、それらからふさわしいものを選択。また、2分半程度の短い音楽のなかに、ドラマにあるいくつかの要素をどう配置するかなど。テーマを選んだあとも、本当にそれでよいのか…
カラオケに行くと歌える歌がなくて困るんですよ。だいたいメロディーは覚えていても 言葉を覚えられないので歌えないんですけど。歌えるのは『黒い花びら』(水原弘) とか。第一回レコード大賞受賞曲
最近はますますひどくなって、耳鳴りがしない日はほとんどないくらい。音もどんどん大きくなってきていて、朝、目が覚めた時から爆音が頭で鳴り響いているように感じる時もあります
福島を忘れないでください。原発のない日本を作ってください。脱原発を目指す政治家は協力してください。日本の未来である子供たちを守ってください
やっぱりYMOがなかったら、その海外に出ていくということもなかったと思いますしね。一応その(いろいろな)葛藤があったけど、やはりやってよかったなとは思いますけどね
NYで911テロを体験して、音楽を楽しめるってことは、平和じゃないと楽しめない。だから僕は音楽家だからこれからも音楽をやるためには、平和でないと社会が世界がね。困るなという。とてもそれを実感として感じた
ミス・マッチをやるために、逆にミーティングをたくさんやった。そのシーンのイメージやミス・マッチの狙いを何回も話し合った
(風立ちぬの評価について)審査員の中では否定の声はなかったが、賞をあげるまでは、という感じだった…エンジニアが自分の夢を追うのは美しいのだが、完成した戦闘機がアジアの人々を殺したり、若い兵隊が戦争で犠牲になったりしている。その視点が欠けていたのが気になった
楽曲のすべてをドラムが支配していることが昔からいやでしようがなかった。YMOでやっていたテクノは、機械的なオン・ビートにすることでドラムの存在感が希薄になってたからやってたの
YMO『体操』はあれ、ブルース進行だからね。あのライヒみたいな組み合わせの音だと、ブルース進行でもあまりブルースに聞こえないんですよ
自分の思い通りに生きたがどうかが大事。長さではない どう生きるかどう死ぬかっていうのは個人が責任を持って選んで下さい
甘ったれるなよ